花粉症ガール外伝・コンパーニュ記

会話リプレイ形式の「精霊少女や仲間たちの趣味雑談ブログ」。お題はTRPGを中心に特撮・怪獣ネタ成分が濃厚。現在は、ソード・ワールドのミストグレイヴ妄想リプレイ「魔神ハンター」を終了に向けつつ寄り道迷走気味。

ゴブリンスレイヤー12巻の話(その1)

Shinyさん登場

 

ヒノキ「久しぶりにサブロー殿からラブコールをいただいたのじゃ❤️」

ゲンブ「アリナ様、おめでとうございます」

ヒノキ「まあ、わらわはアッキーたちと違って大人じゃから、契約主といつもベッタリ引っ付いてなくとも、独立した立場でいられるが、それはそれとして、気に掛けていただいている、と実感できるのは励みになるものじゃよ」

ゲンブ「うむ、我もかつて勾玉を通じた巫女との交信で、力を発揮したことがあるでござる。我の当時の使命は、地球環境を脅かすギャオスなどの怪獣と戦うことであったが、その際に人間という存在との関係性をどう見なせばいいか、多少とも判断に迷うところがあった」

ヒノキ「人間など気に掛けることなく、己の使命を果たすことにひたすら邁進するか。それとも、人を守りながら戦うか。ヒーローとしてのアイデンティティーにまつわる問題じゃな。大義のために小さな犠牲を是とするか、それとも犠牲は看過できないか、と言い直してもいい」

ゲンブ「勾玉を持つ巫女がいるうちは、我も守るべき者が何か意識しながら戦っていたと思う。しかし、レギオンとの戦いの際に勾玉が砕け、交信が途絶えてしまった後は、自制のブレーキが働かなくなって、人の犠牲を顧みなくなった形でござる」

ヒノキ「それが、例の渋谷の惨劇を招いた背景事情という奴じゃな。わらわたち精霊は契約相手との絆が行動原理に左右されるし、新兄さんみたいな人の友と友誼を交わしたり、義兄姉の契りを交わしたり、TRPGのような趣味を通じたりして、人の心と強く結びつくことによって物質世界とのつながりを維持することができる。人の文化に触れ得なければ、所詮、精霊は自然界の諸現象の法則や本能とでもいうべきものにのみ支配され、自我というものを喪失してしまうからのう。

「まあ、わらわは少しばかり長く生きておるから、自我の強い神霊の域にまで到達しておるが、コナっちゃんやアッキーは新兄さんなしでは自我を維持することも困難じゃろう。新兄さんも頑張って、娘と見なしながら教育を施しておるようじゃが」

ゲンブ「時空魔術師どのも奇特な男でござるからな。うちのシロや、セイリュウの子のリトルにまで世話を焼いてくれるとは思いもよらなかった。子ども好きなのでござろうか」

ヒノキ「義理堅い男であるのは確かじゃろうな。感情の振幅の激しいところがあるが、本人もそれを自覚していて、感情の切り離し、コントロールの仕方を習得済みと見える。その点で、感情的な好き嫌いよりも、契約事で人間関係の距離感を保ちたがるところがあるようじゃな」

ゲンブ「『共通の趣味について語る関係』ならよし、それ以上は踏み込まないようにするとか、『共同創作の範囲内で付き合う』とか、『○○をしてもらったから、その返礼に△△をしてあげるWinWin』とか、でござるな。そういう関係性を明言せずに、線引きをしないまま感情だけでズルズル求めて来る輩は、冷たくあしらうと言った感じでござろうか」

ヒノキ「感情だけなら『自分の好きなキャラの悪口を言った』だけで破綻するものじゃ。そして、キャラの好みは人それぞれじゃから、うかつな悪口が誰の怒りを買うかまでは、この広いネット社会では分かったものでない。悪口めいた批判をする際にも、それを正当化して納得させるだけの理論武装や意見対立の落としどころを探る知恵とか、そこまで想定しての批判と、単なる感情を吐き出すだけでは全然違う。何かを攻撃すれば、その刃は己の身にも降りかかる。銃を撃つなら、自分も撃たれる覚悟をするべきだ、とは名言じゃろう」

ゲンブ「撃たれる覚悟とは、相手を撃って自分も死ぬという破れかぶれな考え方ではなく、ネット上の発信では、不特定多数に撃った以上はどこから反撃が来るか分からない。反論された際に、自分の発言の正当性をきちんと訴えることができるのか、あるいは相手の心情を汲んで相互に納得できる形に落ち着けるのか、さもなくば反論相手に対して徹底的にやり合う覚悟はあるのかまでを意識した上で、極力、角の立たない主張を模索すべきでござろうな」

ヒノキ「ネット上での人間関係は、現実のしがらみがない以上、ちょっとした感情のいさかいで簡単に壊れる。だからこそ、関係性を維持したければ、『相手の好きなもの(あるいは好きかもしれないもの)に、うかつな批判をしない』という自制心と、『限定された付き合いの範囲を定める』姿勢の堅持が求められる。

「例えば、わらわと新兄さんは同じTRPGファンとして付き合っておるが、もしも新兄さんが『仏教徒として神道を破折する』などと言い出したら、終わってしまうじゃろう。政治的な話題もしかり、それこそ趣味の範囲を逸脱して『与党の政策がどうこう、野党の態度がどうこう』と場違いに話題にしたら、政治的スタンスが同じ人間ばかりの集まりなら問題なくとも、『共通の趣味を持っていても、政治的スタンスは真逆』という可能性もあるわけだし、そこを踏まえるなら、何もかも思いつき、自分の信念を所構わず口に出せばいいってものじゃない、というのは容易に想像して欲しいものじゃな」

ゲンブ「『趣味の場を大事にする』という意図があるなら、『それを崩しかねない話題は極力、控えるべき』というのが大人の良識でござるな」

ヒノキ「何を言えば崩れるか、そういう想像もできない人間が自制できなければ、あるいは行き過ぎた発言を後からでも『場違いでした。暴言でした。失言でした』と建前だけでも自分の言葉で明言して引っ込めなければ、個人の善意や悪意とは関係なく切り捨てられるものである、という道理を弁えねばの。表現の自由憲法にはあるが、それはどこで何を発信しても自由ということにはならないし、場の管理人の好意に甘んじた自由は、『場の管理人の好意は、場のルールや推奨話題、良識をわきまえている相手にのみ向けられる』という前提を無視して成り立たない。場の管理人がとっくに好意を激減させている状況で、なおも何が問題か自己を省みられない輩は、どうにも付き合いきれんのう」

 

NOVA「ヒノキ姐さん、何の話をしているんだ?」

ヒノキ「おお、新兄さん、ようやくこちらに顔見せか。遅ればせながら、誕生日おめでとうなのじゃ。この度は、Shinyと名を改めたそうじゃな。新(Shin)兄(ny)さんと言ったところかの」

NOVA「うおっ、そこまで読んでいたとは、さすがはヒノキ姐さん。恐れ入ったぜ」

ヒノキ「そっちにはシロがいるからのう。新兄さんところの情報は筒抜けと言ってよい。まあ、そのことは先刻承知の上じゃろうが」

NOVA「別にヒノキ姐さんと敵対するつもりはないからな。シロ君が隠密のスパイみたいな行動をしていても、俺の方からはあえて隠すことなんて何もないぜ」

ヒノキ「そう言いつつ、そなたの言うことは半分が妄言だと、表明されておるからのう。どこまでを信ずべきで、どこからが妄想交じりの創作なのか、判断に迷うところがあるわけじゃ」

NOVA「俺は嘘をついているつもりはないけどな。まあ、いろいろと面白おかしく脚色している部分はあるかもしれんし、主観による思い込みとか、記憶の捏造だって考えられる。そもそも、100%の真実を語れる者などなかなかいないさ。視点が違えば、物語の見え方も変わってくるし、同じ記憶でも時間が経てば意義付けが変わってくる。ましてや、人の評価など主観や時流によっても変動して当然だ。可愛さ余って憎さ百倍って言うぐらい、人の感情の揺れ動きは大きいからな。

「だから、俺は自分の感情を行動動機にはあまりしたくない。振れ幅が大き過ぎて、ただでさえ迷走しがちなのが、自分でもどこへ飛んで行くか知れたものじゃないからな。それこそ、次元ドルイドのハイラスみたいなものだ。自分を安定させるには、何かの土台が必要だと俺は考える。それが趣味だったり、リアルな人間関係だったり、ネットで構築した居場所だったり、同じ番組を見て感想を語り合った良縁のネットフレンド(ネッ友と略すか)だったり、思想哲学だったり、自分の創作作品だったり。まあ、こういう土台が多いほど、人間性が維持できて、ジャーム化しにくいと俺は考える」

 ヒノキ「それはそうと、お前さん、ここにこれを忘れて帰ったじゃろう」

ゴブリンスレイヤー12 (GA文庫)

ゴブリンスレイヤー12 (GA文庫)

 

NOVA「ああ、それはどこに行ったか探していたゴブリンスレイヤー最新刊。やっぱり、ここに置いて行ったのか」

ヒノキ「ヒヒヒ。たっぷり読ませてもらったわい。今度、新兄さんが来たら、じっくり感想話をしようと思っておったのじゃ。ちょうどいい。わらわの話に付き合え」

NOVA「いやあ、ハンドル枕詞をShinyに変えたので今後ともよろしく、と挨拶に来ただけなのに、そう誘いをかけられたとあっちゃ、今だゴブスレ歴1年未満とは言え、魂に刻み込むほど追っかけた俺としては黙っちゃいられませんね。喜んでお付き合いしますよ」

 

今回は短編集

 

NOVA「12巻は4巻と同じ短編集ですね。メインの話は6章分で、そこに序章、間章2つ、終章がはさみ込む形で、全10章分のストーリー。章ごとにスポットが当たるキャラが異なるので、非常にヴァリエーションの多い外伝的なお話です」

ヒノキ「新兄さんは、どの話が気に入ったのじゃ」

NOVA「全部。と言っちゃえば、作者をヨイショする形になりますが、記事としては何の面白みもないですね。ここで何かを持ち上げて、他を貶めるような感想を書くのも、愚かな所業になります。いかに他を下げずに、お気に入りをプッシュするか理由を明記して、読む者になるほどな、と納得させるのが、テクニックというもの」

ヒノキ「前置きがクドイ。これを読んでいるか知れない特定個人を意図した小言めいたアドバイスはいらん。さっさと答えんか」

NOVA「いや、俺は単に自分への戒めと一般論をですね……って、まあいいや。さて、NOVAが選んだトップ1は、第3章『仕掛人、走る(ヒット・アンド・ラン)』です。もう、このタイトルを見て、ツボを突かれない必殺シリーズファンはいないですよ。1月に完結したゴブスレ対決が必殺ネタを満載したリプレイになって、ちょっと趣味に走り過ぎたかな? と思っていたら、原作でもこういうネタを出してくれて、俺の方向性で間違いなかったとプッシュしてもらった気分です」

ヒノキ「ゴブスレ世界の仕掛人(ランナー)は、表の冒険者とは異なる裏稼業の住人じゃったな」

NOVA「ヒノキ姐さんのツラヌキ丸子も、仕掛人と関わり深い冒険者って設定でしょ?」

ヒノキ「うむ。冒険者ギルドが国家公認の人材派遣業だとするならば、仕掛人は犯罪や暗殺なども辞さない闇の盗賊ギルドみたいなものじゃからな」

NOVA「そこに、作者が最近ハマっているらしい近未来サイバーパンクRPGシャドウラン』のエッセンスを混ぜこぜしてますね。こういうネタを出されると、今後のTRPGサプリメントでも『仕掛人(ランナー)になれるルール』が欲しいです。ファンタジーなゴブスレ世界で、サイバーパンク特有の『身体パーツを機械に置き換えた改造人間』が登場するとは思わなかった。ここだけ違うゲームになってるぞ、と読んでて笑った」

ヒノキ「まあ、この話の仕掛人チームは、ゴブスレさんたちの知人でも何でもなく、これまでのゴブスレさんたちの冒険の陰で、別口の依頼で支援的に動いてきた連中じゃからな」

NOVA「例えるなら、名探偵コナンの世界にルパン3世が登場したり、仮面ライダーの世界にキカイダーが登場したりするようなものかな。そのうち、この仕掛人チームだけでスピンオフな外伝小説が単行本丸ごと書かれても不思議じゃないかも」

ヒノキ「で、話の内容はどうだったのじゃ?」

NOVA「都会の闇を走るミステリー陰謀劇ですね。依頼によって殺しに向かったところ、的は既に何者かの手で殺されていた。濡れ衣を着せられた仕掛人チームが、真犯人を探して、自分たちを陥れたことへの報復を果たす話です。雰囲気は、時代劇とシャドウランの合わせ技に、主人公の趣味である『野球ならぬウィズボール』のネタをかぶせたり。まあ、SNEとゴブスレが提携したことにより、遠慮なくSNEの過去ゲームネタも出してくるなあ、と」 

シャドウラン 5th Edition (Role&Roll RPG)

シャドウラン 5th Edition (Role&Roll RPG)

 

 

ヒノキ「自他共に認める必殺マニアの新兄さんじゃからこそ、その話を選んだということじゃな」

NOVA「まあな。何かを語る際に『○○が好き』というだけじゃバカでもできる。まあ、『○○が嫌い』『○○はダメ』を言いがちなのはバカ以下のクズだけどな。そんなことを言われても、趣味話の場は盛り上がらない。何かを見下すのは、それを語っている自分は溜飲が下がるかもしれないが、人の意見が多様である以上は一部の人間の不快を招くリスクが高いし、それを発言した際に想定されるトラブルの対処まで覚悟するなら、遠慮なく撃っていいが、下手するとトラブルを起こして喜ぶ奴と評価されかねん。まあ、他人の管理する場でトラブルの種を撒く常習犯はクズ扱いされても文句は言えんだろう」

ヒノキ「新兄さんのその発言もまたトラブルの起因になりかねんがの」

NOVA「分かってるさ。その時は、ヒノキ姐さん、あとの対処はよろしくな(ニヤリ)」

ヒノキ「おい。……なるほど、分かった。確かに、今の新兄さんの発言はクズじゃな。クズは焼却しなければの(ゴゴゴゴゴ)」

NOVA「おっと、済まなかった。ヒノキ姐さんをそこまで怒らせるつもりはなかったんだ。謝ります。別にヒノキ姐さんにトラブルを押し付けようとしたわけじゃない。ただ、俺がクズと主張するのがどのようなものか、ここにいるみんなに理解してもらいたくての方便って奴なんだ。俺の発言が原因で、ここがトラブったなら、俺がきちんと対処する。自分で自分のケツを拭くのは、一人前の証だからな。

「公の場で謝るのが『ワイドショーで謝罪している人間みたいでさらされて恥ずかしい』などとのたまう輩は、公の前で発言する資格はない。自分の立場として必要なら、他人のためにも頭を下げられるのが責任ある大人ってもんだ。まあ、謝れば負けという文化の国ならともかく、日本人だったら『悪いことをして責められたら、まず謝りなさい』と教わるもんだ。その上で、『謝っている相手を、上から目線でバカにする輩は、武士の情けを解さぬ無作法者だ』とする文化なんだ。そいつが日本の美学ってものなんだよ」

ヒノキ「うむ。確かにその通りじゃ。しかし、それに対する反論はあるぞ。『日本人の美学は、国際化の時代には通用せぬ』と。だから、古い美学を切り捨てるべきじゃとな」

NOVA「まあ、切り捨ててもいいんだけどよ。問題は、『では、それに代わる新しい美学とは何か』だ。自分は国際人だってことなら、当然、世界で通用する新しい美学を実践しているってことだよな。新しい美学の何たるか、代案も持たずに、ただ古い美学を古いという理由だけで切り捨てて、美のかけらもない輩に成り下がったのをバカという。まあ、そんなバカが増えた背景で、何の根拠もない自分ルールを『これがマナーですよ』と口にする自称マナー講師も増えているのが昨今の風潮だけどな」

ヒノキ「つまり、新兄さんは古い美学を切り捨てるな、古き良きものを守れ派じゃな。マナー講師云々はさておき」

NOVA「それだけじゃない。俺はどちらかと言えば、明治時代の和洋折衷、和魂洋才の思想を推奨する。つまり、日本の美学を維持したまま、世界の良きものを受け入れる。この場合、世界の良きものというのは『雄弁であること』だ。頭を下げるのがイヤなら、自分の主張をきちんと自分の責任ある言葉で説明して、自分の正義を納得してもらうよう正々堂々と公の場で訴える。これが国際社会の認める『美学』ってものだ。もちろん、インターネットの世界も基本は対話の世界、自由な言論の世界であることは、論を待たないと思う。

「つまり、何を発言するのも基本は自由だが、自分の発言にはしっかり責任を持て。失敗した発言なら、修正あるいは撤回も宣言しろ。そして誰かが管理する場なら、その管理と裁定ルールには従え(ネットは自由とは言え、社会なのだからルールがあるのは当然である)。まあ、自分の発言に責任を問われない匿名板ならではの作法ってものもあるのだが、それとて『郷に入らば郷に従え』だ。匿名板で許される行動がオフィシャルの場、あるいは特定私人管理の場で許されないこともあるし、逆もまた然り」

ヒノキ「で、これは一体、何の話か分かって喋っているのかの?」

NOVA「当然ですよ。時空魔術の話です」

ヒノキ「話が急展開する寄り道脱線癖を、全部、時空魔術で説明するな。シロが妙に興奮しておったぞ。『話を聞いているうちに、自分がどこにいるのか分からなくなる。あれこそ詭道だ。脈絡のないように見えて、頭がかき回されて、しかも気づけば何故か納得できる結論にたどり着いている』とな」

NOVA「いや、俺も最近、似たような感想を得ましたよ。これこそ王道ではないが新たな形の騎士道だとね。リュウソウジャーと俺の時空魔術に相通じるものがあるというのを終盤になって、ようやく気づいた次第。今なら『ケボーン騎士道と時空魔術』という論文が書けそうだ」

ヒノキ「頼むから、その前にゴブスレ感想に戻って来てくれ」

NOVA「ならば、こういう時の秘伝を示しましょう。『仕切り直しの術』」

 

それぞれの好きなもの

 

NOVA「何かを語る際に『○○が好き』というだけじゃバカでもできる」

ヒノキ「時間がさかのぼった?」

NOVA「話がさかのぼっただけです。さて、ここからバカ以下のクズ、つまりネガティブな方向に話が流れて、ネット内でのマナー講座に突き進んだのが改変前の世界ですね。今度はポジティブな方向に向かうとしましょう。人は高みを目指したいもの。そう、バカでない自分を証明するために何をすればいいかを考えるのです」

ヒノキ「わらわはTRPGが好き。これだけではバカということなのか?」

NOVA「そこで話が終わればね。ヒノキ姐さんだったら、その後、自分がどれだけTRPGを好きか言葉を尽くして語ってくれるでしょう。その愛着ぶりを表現豊かに語って、『ああ、この娘は本当にTRPGが好きなんだな。言葉の端々にTRPG愛が溢れている。確かに納得だ。TRPG好きの女の子、それこそ正しく日野木アリナ』というところまで感じ入らせて、初めて世界は日野木アリナの人となりの一つを理解してくれる。そう、『何かが好き』と表明することは、自分という人間もしくは存在のアイデンティティーの一つを打ち明ける、自分を分かってもらえる言論活動、儀式のようなものと見なしてもいい」

ヒノキ「なるほど。つまり、『好き』という言葉で自己アピールできるわけじゃな。逆に『嫌い』という主張をしがちな人間は?」

NOVA「自分は嫌いなものだらけの人間で、鬱屈しています、という証明でしかありませんね。もちろん悪口だらけで盛り上がる場もないわけじゃないですけど、それは『皆がその悪口の対象を共有している場』に限られますね。

「俺が『トレギア嫌い』と言って、皆が皆、それに同意してくれるような場なら、その話で盛り上がるかも知れませんが、子供ならともかく、大人の社交では、とりわけマニアの集まる場所では『意外と悪口で盛り上がることは少ない』わけですね。というのも、それぞれ一家言あるような人たちは、嫌い嫌いな感情論を振り回す人よりも、面白さを追求したがって語りたがりますから。自分はこれだけ作品を楽しんでいますよって人たちのいる場では、悪口で盛り上がることは少ないです。何というか、精神レベルが低すぎて幼稚って感じるんですかね」

ヒノキ「ふむ。『自己アピールに使うなら、嫌いよりも好きを語れ』ということじゃな」

NOVA「ええ。そして、『○○が好き』に加えて、そこに『その人らしい理由、視点』が加わったり、『好きを印象づける、その人のセンス』をいささか過剰に表現したり、逆にクールに論述することで詳細に物を見てるアピールしたり、好きなもの語りをする中で、自分らしい物の考え方はこれだ、とアピールするのが、趣味人の芸と呼べるものですね。

「まあ、俺の場合は『嫌いなもの』に対しても、変わらぬ愛着で論じて、語ることもできますが。『こういう物の考え方は嫌いだ。性に合わん。なぜなら……という理由で、ネガティブすぎて建設的でないからである。だから、せめてこうであって欲しいなあ』と語ったりもするわけですが、まあ、最後はポジティブに引き上げて、話を締めくくりたいと思ってます。見下して、罵って、悪口だけをまくし立てて終わるのは、俺自身が読んでて不愉快に感じる文だし、自分の文章が救いのない終わり方をするのは、嫌だな、と。文は人なり、ですから」

ヒノキ「好きをいかに表現するかが、その文の書き手の個性に通じる。嫌いを表現する場合は、文章がネガティブな感情の垂れ流しになる可能性が高いから、いかに和らげるなり、感情を理性で制御し得るか。そこまでの文章力がないのなら、趣味の場では好き語りをするのが推奨される、ということじゃな」

NOVA「まあ、嫌いで自己アピールするよりも、好きで自己アピールする方が、問題は生じにくいってことです。しかし、好きと言っているだけじゃ、人となりは伝わりにくい。だから、その好きの表明の仕方にみなさん、趣向を凝らすんですよね。その趣向の凝らし方を意識してやっているのが『芸』というわけです。俺の寄り道脱線もちょっとした芸というもので……」

ヒノキ「それで無駄に長文化して、読みにくくなるのは芸と言わん。読者に苦行を押しつけるでない」

NOVA「いや、その苦行を乗り越えた先に悟りの境地が……」

ヒノキ「得られるものか。せいぜい、声聞・縁覚の二乗止まりじゃ」

NOVA「おお、ヒノキ姐さんが仏教用語を……」

ヒノキ「お前さんより長く生きとるんじゃ。それぐらい勉強するわ。見くびるでない。それよりも、大口を叩きおったんじゃ。新兄さんなりの好き語りをして、自分がバカではない証明をせねばの」

 

NOVA「というか、俺はもう第3章『仕掛人、走る(ヒット・アンド・ラン)』が好きって語ったじゃないですか。理由は、俺が必殺シリーズのファンだから。それ以上を聞きたければ、必殺シリーズを最初の仕掛人から仕事人2019までざっと語ってもいいですよ」

ヒノキ「それを脱線という。ゴブリンスレイヤーを語れよ」

NOVA「いや、だって、その第3章が正に脱線話というか、ゴブスレ本編にはほぼ関わりのない裏話的な回ですからね。ウルトラQにおける『カネゴンの繭』みたいな回。レギュラーキャラが全く登場しないエピソードなのに、カネゴンだけがブレイクして、何だかウルトラQにおける代表的エピソードのような持ち上げられ方をしている。新マンにおける『怪獣使いと少年』みたいなものですね。異色作で、その回だけじゃ作品カラーがちっとも伝わらないのに、後年、何故か持ち上げられる回。最初のガンダムにおける『ククルス・ドアンの島』みたいなものかと」

ヒノキ「つまり、何が言いたいのじゃ?」

NOVA「俺の好きな番外編をいくら語っても、ゴブスレを語ったことにならないという、このジレンマ。だけど、ある意味、作者が一番力を込めた一編ではないか、と思ったり」

ヒノキ「つまり、新兄さんの寄り道脱線話好きセンスに一番ピッタリなのが、この第3章じゃな。逆に言えば、新兄さんは色物推奨派で、王道とは異なるセンスの持ち主ということじゃ」

NOVA「いや、そう決めつけられると、俺だって王道好きですよ、とアピールしたくなるじゃないですか」

ヒノキ「好きな昭和ライダーは?」

NOVA「ストロンガー」

ヒノキ「好きな昭和ウルトラは?」

NOVA「新マンとジョーニアス」

ヒノキ「好きな戦隊は?」

NOVA「ジェットマンカーレンジャー

ヒノキ「それらは王道か?」

NOVA「あ、好きな戦隊にオーレンジャーに、比較的近年だとゴーカイジャーキョウリュウジャーも入れてください。これで王道だ。あと、サンバルカンも外せない」

ヒノキ「ここで、普通の王道好きならV3、セブン、ゴレンジャーやジュウレンジャーと答えるべきものじゃろう」

NOVA「例が古いのは俺も同じだからツッコミませんが。そういう答えをしても、面白くないじゃないですか。好きなロボと聞いてマジンガーZガンダム、好きなTRPGと聞かれて、D&Dとかソード・ワールドって答えるようなもので、マニアの場では当たり前過ぎて、芸がない」

ヒノキ「好きなロボは?」

NOVA「宇宙の王者グレンダイザー。それと最強ロボのダイオージャ。あとヤッターキングとか逆転王、三冠王。文句なく王道ですね」

ヒノキ「名前に王が入ってるだけではないか。好きなRPGは?」

NOVA「いっぱいあり過ぎて20個ぐらいは何も調べなくても軽く作品タイトルが出ると思いますが、今だと『ファンタズム・アドベンチャー』と、そのアドバンスト版、さらにSF方面の『マルチバース』と答えたいですね。あるいは『MERP(指輪物語RPG)』と、その元となった『ロールマスター』も捨て難い。これだけで軽く5個。あと、15個か」

ヒノキ「もういいわ。一つ答えればいいのに、どうしてそんなにズラズラと芋づる式に出てくるのじゃ?」

NOVA「これが愛です。とにかく、俺に語らせると、たぶん王道から逸れて、マニアック街道一直線ですよ。必殺シリーズと聞いて、仕事人じゃなくて、仕事屋稼業を語りたくなる奴ですから」


必殺必中仕事屋稼業 仕事屋大勝負~夜空の慕情


仕事人大集合~知らぬ顔の半兵衛登場シーン

 

ネガティブな批判について

 

ヒノキ「つまり、何が王道で、何がマニアックかが語れる程度の知識がなければ、王道を語る資格はない、ということか」

NOVA「ええ、そうですね。好きか嫌いかは作品を一本見れば分かる。その中で、好きなものを追求して、同好の士と楽しく語り合えることができれば、ファンとして十分幸せでしょう。しかし、その先にのめり込むなら、感情と切り離したレベルで作品を語れる自制心が必要です。ある程度、多くの作品に接すれば、自分に合った作品もあれば、自分には合わない嫌いな作品、駄作と認定したくなる作品に出くわすこともあるでしょう。そこで、そういう作品を罵るようになる。これが初期のマニアです」

ヒノキ「確かに、『どうして、ここまでボロクソに、親の仇でもあるかのような憎しみで辛辣な作品批評を行うのか』という輩も時々、見かけるのう」

NOVA「まあ、『何かの粗探しをして、ボロクソに言える自分が格好いい』と感じる気持ちも分からなくはない。ただ、後から自分の書いた文を客観的に読み返すと、醜いとか不毛とか感じたりはしませんかね」

ヒノキ「いや、感じんよ。わらわレベルになると、つまらん物の悪口を言っても、自分の格が上がるわけではないことを承知しているからのう。もちろん、つまらん物がわらわの周りを脅かすようなら話は別じゃが、つまらん物は最初から見なければいい、相手しなければいい。ただ、それだけのことよ」

NOVA「俺は、そこまで達観できませんね。つまらん物と感じていても、『何か良い点、面白く語れる点があるのでは? それを見つけて語ることがマニアの生きる道なのでは?』と考えたりします。まあ、そのためには、つまらんと見下す気持ちや、嫌悪感などを批評眼から切り捨てなければなりませんが」

ヒノキ「だがしかし、そういう感情を簡単に切り捨てることなど、できるものなのか?」

NOVA「簡単ではありませんし、俺一人だと自分の感情から自由になることは無理だと思います」

ヒノキ「ならば、どうするのじゃ?」

NOVA「だから、俺じゃない誰かの知見をお借りするのですよ。俺の嫌いな、つまらないと感じる作品に対して、俺とは異なる視点で好意的な評価を与えている人間は、この広いネット世界で必ずいると考えます。世間で何と言われようと、自分がその作品が好きなんだ、と熱く語ってくれる尊敬すべきマニアがね。それがただの感情論ではなく、きちんと作品の特長を分析し、なるほどな、確かに一理ある、と納得できたとき、そういう目で、もう一度作品を振り返ってみようと思えてくる。少なくとも、そういう人間がいると分かっている作品を俺は感情だけで見下したりはしたくありませんね」

ヒノキ「誰かの知見を借りるか」

NOVA「当然です。俺は絶対の智者ではありませんから、自分には分からない見方、考え方を示してくれる者には敬意を払いますよ。まあ、世の中には、『自分がバカにしている作品を評価する者はバカである』と言い放って恥じないバカも見かけますがね。もちろん、バカにしていい作品、自分には学ぶ価値のない作品ってものは存在します。

「しかし、その愛読者全てを見下すような発言はどうかな、と思いますね。こういうのは、ただの知識量だけでなく、センスの差とか、人生経験の差とか、作品に求めるものの差とか、いろいろあるわけだし、単に『自分には合わない』『自分の価値観にはそぐわない』とだけ言えばいいものを、不特定多数の人間を巻き込んでしまうような物言いは、賢明とは言えないと考えます」

ヒノキ「確かに、世の中には『男はみんなクズ』と言い放つ女弁護士とか、『人間は実に愚かだ』と言い放つ悪者とか、やたらと主語を多く広げて、敵を増やす者は多いのう」

NOVA「彼ら彼女らは、大抵、心根がネガティブな割に発する言葉はアクティブだから、性質が悪いのかな、とも思います。つまり、ネガティブ思考を拡散して敵意を煽ってしまうのですから。

「もちろん、女弁護士さんの見ている狭い世界で『男がみんなクズ』に映るというのは想像できます。実際にクズな男に悩まされている女性の相談者も多いのでしょうから。しかし、もちろん、そうでない男もいっぱいいるのに、そういう真面目で人の良い多くの男性は、アウト・オブ眼中なのでしょうな。そういう相手と接する機会が少ないのでしょうから、そもそも見えていない。

「『クズな男に悩まされている女性に親身になって、現実にそれしか見えにくい職種』なら、まあ、そういう思考になっても納得できます。ただ、それが世の中の全てであるわけではなく、クズじゃない男まで巻き込んで無駄に煽っちゃうものだから、『仮に仕事では優秀であったとしても、世界が狭くて身勝手で狭量に見えてしまう』のは否めない、と」

ヒノキ「で、その話とゴブリンスレイヤーに何の関係があるのじゃ?」

NOVA「今は関係ないでしょうが、ゴブスレの物語が『女性を酷い目に合わせるクズなゴブリン』を描いた作品である以上は、事前に最低限の理論武装ぐらい整えたくなりましてね。きちんと物語を読めば分かるように、ゴブスレはクズを肯定する話ではなく、『女性を酷い目に合わせるクズを過激に叩き伏せる男の仇討ち物語』です。また、同時に『酷い目に合わされた女性が立ち直る姿を描いた物語』でもありますし、『ゴブリンによって酷い目に合わされるのは女性だけでなく男性も含まれるため、女性だけを貶めている物語ではない』わけですな。つまり、ゴブスレを攻撃する者は、『女性をいじめるクズを制裁する物語』を否定したり、『被害女性が強く生きようとする物語』を迫害し、結果的にクズの味方をする形になります」

ヒノキ「うむ、確かにそうじゃな。もしも仮に、ゴブスレが女性蔑視だのと謂れのない批判を受けたなら、ファンとしては、そうではないと強く訴える材料にはなろう。ゴブスレのファンなら、健気に戦う女神官ちゃんを応援する者は多いし、仮に二次創作でヒロインをいじめて楽しむ不埒なファンが現れたとしても、それは作品そのものの罪ではないと言うべきじゃろう」

NOVA「まあ、創作ジャンルに知識のない者の目には、原作と二次創作の区別も付かないでしょうし、『見えている世界が非常に狭いのに、勝手な決めつけでレッテル貼りして恥じない』ものだから、話が噛み合わないのでしょうけどね。俺に言えるのは、『自分が絶対の智者ではない以上、自分の知らないジャンルを語る際には、バカにする前に詳しい人間の意見を参考にするのが賢明な態度』ってことですね。学ばずに見下して威張るのは、傍で見ていて恥ずかしいし、そういうのは所詮、感情論でしかない。まあ、世の中を動かすのは、正当な理屈ではなく、しばしば感情論だというのが現実なんでしょうけど」

 

ヒノキ「うむ。ゴブスレ感想から一部界隈の社会問題にまで視野を広げるとは思わなかったぞ」

NOVA「では、話を戻しましょう。実のところ、ゴブスレ新刊感想を読みたくて、ここまで読んできたお客さんには、今回がっかりさせてますね。何せ、ヴァリエーションの多い短編集の感想だからと気負って、自分の話もヴァリエーションが広がりすぎた。ついでに言えば、短編集の第3章の仕掛人話は、多くの一般的なゴブスレファンにとっては、最もゴブスレらしくない話と映るんじゃないか、 と考えます。必殺シリーズシャドウランに興味のない読者視点では雰囲気も味わえないだろうし、ゴブスレメインの冒険物語ですらないわけで」

ヒノキ「そんな話を最初からプッシュするということは、今回は一般のゴブスレファンを切り捨てた記事ということじゃな」

NOVA「すいませんね、王道慣れしていないマニアック男なもんで」

ヒノキ「仕方ない。王道は、わらわが歩んでみせよう。次回は、わらわがゴブスレファンの喜ぶ感想話を示してみせよう」

(当記事 完。ゴブスレ新刊感想その2につづく)