予定はままならず
ヒノキ「久々の記事なのじゃ」
ゲンブ「新星どののところの『粉杉どの救出作戦』はそろそろ大詰めを迎えているらしいが、トラブル続きでこちらの記事書きに費やす間がなかったようでござるな」
ヒノキ「まあ、向こうにもいろいろな事情があるらしいので、適度に斟酌した上で、わらわたちは休めるときに休むのも一興かと」
シロ「静かざること林の如し。または緩急自在の奥義ということでしょうか」
ヒノキ「いや、単に『作者が向こうに専念して忙しかったから、こっちを書く余力がなかった』ということじゃ。まあ、向こうの妖精郷よりも、こっちの魔神ハンターのリプレイのファンということであれば、済まなかったのう、と作者に代わって謝るのみじゃが、実際のところ、『妖精郷』と『魔神ハンター』はどっちが人気が高いのかのう?」
リトル「アクセス解析では分からないのですかぁ?」
ヒノキ「アクセス回数は、新記事をアップしたら上がりやすいということで、最近はこちらが停滞気味じゃから必然的に向こうの方が上じゃ。一時期はこちらの方が人気が高かったのが、新兄さんが『空想(妄想)タイムの方がメインブログなんだから』という自分の中の妙な競争意識に駆られたせいで、今は向こうが総計2000ポイントほどアクセス数が上回っておる。今週のアクセス数では、向こうが3倍の伸び率じゃ」
ゲンブ「何曜日はこっちの記事を書くとか、そういうローテーションを決めて定期的に書くようにすれば、読者の皆さんもチェックがしやすいのでござろうな」
ヒノキ「木曜日は花粉症ガールの日、とか決めておった時もあったのじゃが、たとえば、深夜に見たいアニメが出てくると、そちらの鑑賞に意識が費やされ、番組改編期などにペースが変わることもある。あとは職業柄、定期テストが近づいて来たら、そちらに時間を割かねばならず、趣味のブログ書き作業に気分が乗らないとか、そういうこともあろう。職業作家の仕事であれば、執筆時間を固定することが推奨されるが、新兄さんの場合、真夜中に突然目覚めて、ブログで書きたい衝動に突き動かされて夢現に記事書きしているような時もあると聞く」
シロ「ああ、確かに。寝ても起きても、書きたい記事ネタのことを考えていることがあるって言ってました」
リトル「起きていたら仕事のことも考えないといけないので、寝ている時が一番のシンキングタイムだとも言っていたですぅ」
ヒノキ「『特殊技能:明晰夢』を習得している御仁らしいからのう」
リトル「明晰夢って何ですかぁ?」
ヒノキ「夢の中で、これが夢だと自覚している夢、と定義できようか。これが修練を積むと、自分の夢を自分でコントロールしたり、自分がある程度、望む夢を見て、創作のアイデアに行き詰まったときのヒントにも使えるようになるらしい。訓練で身につくものかどうかは知らんが、新兄さんの場合、見たいテレビのことを考えながら寝た際に『その映像を夢で見てしまい、実際に見た映像にデジャブ(既視感)を覚えたり、自分の夢と現実の映像の間の差異(ギャップ)に悩んだり、何が現実で何が夢なのか、自分の現実感覚を見失って混乱する少年時代』を過ごしたようじゃ」
ゲンブ「そういうことを大人に話しても、多くの場合は『TVの見過ぎ』とあしらうことも多いようでござるな」
ヒノキ「子どもは自分の心の状態を的確に誰かに伝える表現力を持たないし、夢とはそういうものと新兄さんも昔は思っていたそうじゃが、どうやら自分の夢の見方は特別らしいと気づくようになる。何にせよ、一時的にTV断ちしても、そういう状態は治まらず、現実感覚を取り戻すために、『夢の知識』と『現実の番組知識』を紙に書いて、比較対照しながら、何が現実で何が夢か区別する作業を行ったりしたとか。やがて成長して、自分の症状が『明晰夢』と呼ばれることを知って、ようやくいろいろなことが腑に落ちたらしい」
シロ「夢と現実の境界線が分からなくなるって、ちょっとしたホラーですね」
ヒノキ「いわゆる夢見がちな浮世離れしたタイプ、というのは、そんなものかのう? まあ、フィクションだと夢の中から力を引き出し、現実を改変する超能力を発揮するというケースもあるみたいじゃが、リアルじゃと、まず夢と現実の違いを認識して、普通に社会生活を営むだけで一苦労じゃろうな。もちろん、メリットもあったみたいじゃが」
リトル「どんなメリットですかぁ?」
ヒノキ「夢の中で勉強できる。ただし、夢を見るほど興味を持ったものだけ。どちらかと言えば、夢の中で復習する感じで、現実で知らないことは夢の中でも知らない。現実で知ったことを夢の中で再確認して記憶に焼き付けるということらしい」
シロ「あの御仁の記憶力の高さは、そういう秘密があったんですね。夢の中で修行できれば、かなりの実力アップが図れそうだ」
ヒノキ「体を使う訓練は、夢の中では修得困難ではないかのう。それができる主人公を考えて、小説にしたことも何度かあったそうじゃが。ともあれ、新兄さんの日常は、朝起きたときに今が現実なのか、夢なのかを確認する作業から始まるらしい」
リトル「矛盾してませんかぁ? 夢の中で、夢を見ているってことが分かるんでしょぉ? だったら起きたときに現実だってすぐに分かりそうなものですがぁ」
ヒノキ「理屈はそうなるかもしれんが、夢でも現実でも同じように考えられる経験をしていると、まずは考えて、現象を観察して確かめるという習慣づけになるらしい。まあ、これは新兄さん個人のケースじゃから、別の明晰夢ドリーマーには別の認識があるのかもしれんが。別に新兄さんも『明晰夢友の会』とか『明晰夢研究者チーム』に所属しておるわけでなく、自分以外の実例もよく知らないまま、あくまで自己の体験に基づく診断と独学で自分の特殊技能と生活に折り合いをつけて、独自の人生を生きていたわけじゃからのう」
ゲンブ「それで明晰夢と、予定の遅れにどのような話の関係が?」
ヒノキ「最近とある事情で、夢と現実の区別が付かなくなる脳内異常活性化状態に見舞われてしまったらしい。きっかけは何か分からんが(念のため、特定個人のコメントは起因の一つでしかない。情緒的に誰かのせいにするのは簡単じゃが、それはフェアな物の見方ではない)、とにかく自分の現実認識能力とか、思考制御能力に自覚できるほどの不具合を生じ、現実感覚を取り戻すためにはとにかく思い浮かぶことをいっぱい書き殴って、それを自ら読み重ねて、思考がきちんと働いているか、それとも現実からどれほどズレているか確認しないといけないモードに入っていたようじゃ」
ゲンブ「過去にもそのようなことはあったのでござるか?」
ヒノキ「花粉症ガールが生まれたときは、大体、そういう精神状態であったらしい」
シロ「すると、今回もまた何かがPONと生まれたりは?」
ヒノキ「新兄さんは、ジョリーダちゃんと名前を付けてみたが、一体、それがどういうキャラなのか、よく分からない、と自分でも首をかしげているそうじゃ」
リトル「元ネタが、グリージョダークネスのアナグラムみたいですが、別にグリージョダークネスそのものではないのですよねぇ」
ヒノキ「脳内異常活性化状態は、どんなひらめきがポンポン飛び出すか分からないが、暴れ馬みたいなもので、あるいは酔っ払いの妄言みたいなもので、整合性とかは一切考えられぬ状態のようじゃのう。もう、思いつくまま、筆の向くまま、キーをタイプする指先の動くままに、いろいろ書いて、後から自分でも『何だろう?』って文章が生まれている」
シロ「それでも、意味は通じる文章にはなっているようですが?」
ヒノキ「どうやら、娘のアッキーの存在が、自制回路の役割を果たしていたようじゃのう」
改めて文学の話
シロ「新星さまの心理的状況は、大体、分かりました。その結果、どんな大惨事を招いたか、あるいは、どういう活性化した面白い状況なのかは、向こうのブログを見て、読者ごとに判断して欲しいということですね」
ヒノキ「うむ、新兄さんとしては、そういう自分の心理状態も客観的なネタとして、こんな変な奴もいるのか、とトンデモ的に楽しんでもらえば幸い、と開き直っておるからのう。自分自身の奇矯な習性も、それを面白おかしいネタとして書ければ、『私小説のネタ』程度にはなる。
「文学的には、絵空事を楽しいフィクションとして描くのがロマン主義で、その反対に私小説は個人の心象風景をリアルに書く写実主義の方向に位置づけられるらしい。いわゆるSFファンタジー系のエンタメ小説はロマン主義で、私小説とは対局を為すと定義されるようじゃが、『客観的な面白さを計算せずに自分の内面から湧き出るものをつづったのは、創作動機的に私小説に分類』されるもの。要するに創作動機が『これって面白いよね、凄いよね、みんなで楽しもう』っていうのはロマン主義の方向性で、『ぼくの考えや感じ方を見てよ、聞いてよ、分かってよ』っていうのは私小説の部類かのう」
ゲンブ「作者が自分になぞらえたキャラの心情や社会批判、葛藤などを狭い視点で描写したのが私小説。一方、本来の字義通りのロマン主義は啓蒙思想に感化されて、人間の生き方の理想や芸術性など美化された社会を描き、そこに大衆小説的な勧善懲悪や、個人の価値観に収まらぬ世間の流行など快を求める方向に至れば、いわゆるエンタメ小説に至るのでござるか?」
ヒノキ「例えば、いわゆるなろう系小説は、『主人公が社会改革を目指す形で自分の理想郷(規模の大小は問わず)を築く革命小説』と読めばロマン主義に分類されるし、多くのSFファンタジーも戦争という行為で社会の変革を目指すなら一種のロマン主義。こういう小説では、主人公と社会の関わり合いがテーマとなって、外側に広がる物語となる。なろう系を現実逃避と批判する者もいるが、理想への憧憬を描いたという意味では、ロマン主義と読めなくもない。ただ、ロマン主義の成立背景には、社会そのものが理想に向けて改革していくダイナミズムがあったが、今の時代にはそういう夢や希望が現実には語られ得ない。それとも、夢や希望を語ることが現実逃避と受け取られるのが、今の世相なのじゃろうかのう」
ゲンブ「文学や小説が、社会啓蒙のための教科書的な扱われ方をするか、社会の実情を映し出した鏡と見るか、なかなか難しいが、流行のエンタメ小説や映像を含む物語が個人や社会の姿を映し出したと受け取るのは批評家の物の考え方でござるな」
ヒノキ「批評家とは、作品の意味づけを考え、その作品の目指したものが何であって、それがどの程度成功したか、あるいは成功に至らなかったかなどを考えて評価価値を認定する仕事と定義することもできよう。もちろん、作品以外でも政策、商品、スポーツなどのパフォーマンスにおいても、まずは意味づけがどうこうという話を主張しなければ、それは批評とは言えない。端的に言えば、『結局、その作品は何なの? どういう意味があるの?』ということを自分なりにまとめることができていなければ、批評としては失敗しているし、そもそもそういうことを考えずに形だけ真似しても、ただの悪口みたいな個人的感想でしかない。誰でも文章を社会に公表できるネット社会では、悪口を言えば、それが批評であるという勘違いが生じやすいようじゃ」
リトル「何だか難しい話になっているですぅ」
ヒノキ「うむ。何となく語ってみたが、これが作者の新兄さんの今の心理状態か。確かに、話がどこに流れるか予測不可能じゃのう」
シロ「結局、大筋としては、どういう方向を目指しているんですかね」
ヒノキ「『現在のエンタメ小説の立ち位置を、文学的視点から語ってみる』といった感じかのう。創作を志す者としては、まず自分が楽しいと思う物語を読者に向けて創る。そして、自分の作品の最初の鑑賞者は自分であるべきじゃから、自分で味見して、その出来を確かめるのは当然じゃろ」
シロ「自分で味見しない料理人は、料理人失格ですね」
ヒノキ「そこでまず、自分自身で主観評価する。その際に自己の作品への批評家という視点が必要になる。『その作品が何なのか? どういう意味があるのか?』 これを自ら語れない作家は、自分の作った物が何なのか分かっていないわけで、何だか分からない物ができたけど食べる? と言われて、わーいと喜んで食べる者はまずおらんじゃろう」
ゲンブ「しかし、我々のこの会話文は、何なのか定義づけられるものでござるか?」
ヒノキ「お喋りや雑談は、そもそも創作と呼べるのか。普通は、無駄話をまとめたものを創作とは言わんし、会議やブレインストーミングのようなアイデアを生み出す過程は完成品に至るための前段階に過ぎん。そこから一本の道筋が伸びて、ストーリーラインがつながったときに、創作と呼べるものにもなろうが、それには設計図とも言うべきあらすじプロットがそれなりに明確である必要がある」
ゲンブ「今の雑談にプロットなどないでござるなあ」
ヒノキ「いや、最初はあったのじゃ。最近の怪獣もの作品についていろいろ話そう、という方向性があったのじゃが、何だか書き手のカオスな思考状態に巻き込まれて、妙なことになっておる。このままでは、思考の魔空空間、幻夢界、不思議時空に突入してしまう」
リトル「私小説とか、ロマン主義とか、批評家とか、ただ何となくで話を進めていたら、思いもかけない高尚なテーマが出てきたのですねぇ」
ヒノキ「まあ、結論としては、『自分の心の悩みなんかを鬱々と書き綴ったような小説は、エンタメよりも、むしろ私小説に属するジャンルだから、自分の書いている創作の意義付けをまず、自分でしっかり見極めるように』という創作家を気取る者へのメッセージを書こうと思ったら、それがそのまま自分のやっていることにも鏡となって跳ね返ってくることに気づいたので、さて、ここからどう話をまとめようか、と戸惑っている新兄さんの想いを、わらわは感じ取ったということじゃな」
ゲンブ「これがプロの書く文章なら、方向性のまとまらない失敗作と断じて、ゴミ箱にポイッと捨てるところでござるな」
ヒノキ「だが、しかし、ここまで話してみたことも、何かのアイデアに通じる叩き台ということであれば、捨てずに保存しておいて、後に考えを深める材料にするというのもまた一興。とりあえず、こういう時は考えを寝かせてみるように、と今は亡き外山滋比古先生もおっしゃっておられた」
思考の整理
シロ「また、唐突に本の紹介が始まりましたねぇ」
ヒノキ「まあ、話がまとまらない時は、読書でもしながら、心を落ち着かせようとするのも生きる知恵じゃからのう。で、Amazonで商品欄を検索すると、いろいろと関連するものが見つかるものじゃ」
ゲンブ「伝達に、お金に、老いとは、テーマが実にバラバラでござるなあ」
ヒノキ「しかし、そのいずれも、外山さんが書いたのであれば、含蓄が深そうなので、読んでみたくなる……と考えるのが、新兄さんの思考っぽい。まあ、わらわは神霊じゃから、永遠の童女姿を保って生きられるが」
ゲンブ「実年齢はこの中で最年長でござるし、口調だけなら老女という感じにも思えようが、アリナ様は老いとは無関係の立ち位置でござる」
ヒノキ「『思考の整理学』は新兄さんの本棚に入っているのを見たことがあるが、他の本は今初めて見たので、中身が語れん。何となく、タイトルが気になったのを羅列したくらいなんじゃろうが、本屋でパラパラめくって、面白そうなら買うかもしれんのう。何にせよ、外山さんは去年の夏に亡くなられたので、その際にベストセラーの『思考の整理学』が再販されたのじゃが、昔、買った本を新兄さんももう一度読み直して、そこで『セレンディピティ』という言葉を再発見したらしい」
ゲンブ「なるほど。それがいつぞやの蘊蓄の元ネタでござるか」
ヒノキ「まあ、この記事内容も、まとまりのないゴミみたいなものかもしれんが、たまたま訪れた誰かのセレンディピティになるかもしれないので、ボツとして消さずに保存しておくとしよう」
ゲンブ「とりあえず、新星どのの思考がうまく整理できて、また、まとまった文章が書けることを願うでござる」
(当記事 完)