スイカから始まる心技体
シロ「今日のスイーツメニューはスイカだ」
晶華「これね」
シロ「ジョークでやってるのは分かるが、真面目な料理の研鑽で茶々を入れるのは感心できないな。遊び心も大切だが、料理の作法としての心技体を今日は教えたいと思う」
晶華「心技体って武道の心得じゃないの?」
シロ「武道の心得は料理にも通じるんだ。だから料理マンガは、しばしば武道のバトル要素を演出に含む。その典型的な例がこれだ」
晶華「う〜ん、よく分からないけど、この今川演出がGガンダムに通じるという話は聞いたことがあるわ。つまり、優れた料理人は優れた武道家に通ずってことね」
シロ「もちろん、名料理人が即、名武道家というわけではない。それぞれの技能は別々の物だけど、食の道は体を作り、武の道は体を鍛える。腹が減っては戦はできない。戦いに勝つ上でも、食を軽視してはならないってことなんだ。だから、中華料理と中国武術は通じるし、プリキュアだってスイーツ道を極めしチームもいた」
晶華「分かったわ。では、料理の心技体を私に教えて下さい、シロ先輩」
シロ「では、料理の心とは何か? リトル、答えてみよ」
リトル「はい。料理は食べる人のことを考えて、愛を込めて作れということですねぇ」
シロ「美味しい料理の基本だな。作る人ではなくて、食べる人の笑顔のために料理は作るもの。もちろん、自分のために作る場合でも、自分で食べて美味しいと思えるものを作るだろう。自分で食べるのだから多少の手抜きはあるかもしれないけど、それでもわざわざ不味い料理、憎しみや怒りの気持ちを料理に込めたい者はいないはず。食べた自分が満足できるように作るはずだ。誰かのために作る際も、食べた人が喜んでくれることを願うはず。それは技術以前の心構えとして大切なことだ」
晶華「うん。料理は食べる人のことを考えて、美味しく味付けしようと目指すもの。これは創作においても言えることね。鑑賞する人のことを考えて、面白く味付けするのが創作の道だ、とNOVAちゃんなら言いそう。自分のことしか考えない独り善がりな物語、自分が読んでもつまらない物語を人に押しつけるのは、下手な料理人と同義ってことかしら」
シロ「何かを作る、という点では、全てそうだな。受け手や使い手のことを考えたものづくりというのは、作り手の心構えの基本だ。もちろん、自分だけが使う、自分だけが楽しむ、自分だけが味わうので満足なら、自分のことだけを考えていればいいだろうけど、他人に披露する場合は独り善がりの先を見据える必要がある。
「自分が他人と違う感性を持っているなら、自分が美味しいと感じる料理が他の者にはゲテモノ料理で不味いと受け取られるかもしれない。その場合は、自分の感性のズレを一般の人に合わせて調整するか、ズレた感性すらも個性としてアピールするかは人それぞれだけど、自分の舌と世間の舌の違いを意識して、TPOに合わせた料理の作り方を身に付けなければいけない。まあ、それは技術論になるけど、とりあえずは自分の感性を理解して、受け入れてくれる相手に愛情を込めたセンスのいい料理を目指すことだな」
晶華「誰のための料理か、その心を見失ってはいけないってことね」
シロ「もちろん、自分の優れた技術を披露するとか、料理人としての名声を高めるとか、そういう結果を求めるのは悪いことではない。ただ、根幹的には、自分を評価する人に向けて相手の好みを想像する力と自分らしさの両立を図る必要はある。どちらかを選ぶのではなくて、両方を適切な配分で混ぜて、自分も満足、受け手も満足できるものを目指すわけだ。独り善がりになりやすい人間は、それこそ人の好みを尊重するという心を習得しないといけない。人の好みの分からない者に、人を楽しませることはできないからな」
晶華「受け入れられる愛って、そういうことね。独り善がりな愛は自分の気持ちをただ押し付けているだけ。本当の愛は、相手の好みを理解して、自分が合わせていけるかという心根」
シロ「それで、自分らしさを見失ってしまえば、ただ媚びているだけなんだけどな。だから、何が自分らしさでこだわる部分であり、何が人の好みを反映できる部分なのか理解して、どちらも両立できるよう自分の幅を広げることが大事。それこそが技術なんだ」
続きを読む