引きこもり隠者の遺産
GM(ヒノキ)「では、今回から魔神ハンター、本格的な冒険の再開なのじゃ」
デル(リトル)「第3部の1話は、立ち上げたばかりの本部の話でいっぱいだったからなぁ」
ホリー(シロ)「本当は隠者の迷路に突入するまでは、進む予定だったんだけど、そこまで漕ぎ着けられなかったというか」
G太郎(ゲンブ)「リプレイ記事書きは、作者にとって複数のキャラの心を扱う高度な遊び。つまり、集中を要する頭脳労働でござるな。遊びとは言え、書いている本人は真剣な芸術作品の気持ちでいる。そして、創作家にとっては、自分の世界の構築に心血を注ぎ込むことが生きる意味と思い定めていたりもする。もちろん、同じ創作仲間なら、自分の生きる意味を人に伝えたいという自己顕示欲は理解した上で、他人の生きる意味も同じぐらい、あるいは、より真剣な場合もあることは察するべきでござろう」
GM「たかが遊び、されど真剣勝負な世界もある。この場合の勝負とは、読者にとって面白い記事や物語を書いて、自分も満足、読む者も満足ということじゃな。もちろん、読む者は関係ない、ただ自分の心からの思いを残すだけで満足する者もいよう。書きたいから書く、研究したいから研究する、他者の評価は二の次……という学究肌な趣味人もいて、昔はそういう自己の道のみを追求した者を隠者とも言った。自己の研究、自己の修行、自己の信仰を貫くために、人里を離れ、自給自足をしながら精進の高み、深みを目指す世界もあったのじゃ」
デル「だけど、一人きりで修行や精進ってできるものなのかぁ?」
GM「かの偉大な剣豪・宮本武蔵は、若き日は道場破りなどをしながら腕を磨き、仕官の道を探るものの、時は戦乱の世が終わり、剣術よりも文治の才を尊ぶ流れにあった。そんな中で、武蔵も書や画を嗜み、学僧に教えを乞うなども試みて、一応の見識レベルに達しはしたが、それでも剣の道断ち難く、年を経て己の習得した剣の極意を隠遁しながら書き残した。剣の道は、武蔵にとっての生涯を賭けた人生訓。どれだけの広がり、どれだけの高み、どれだけの深みに至れるか、兵法も交えて端的な言葉で書き記した稀代の一書、それこそ『五輪書』じゃ」
G太郎「五輪とは地水火風空の5つで、地は若き日からの自伝、水は自分の培った剣術の技の型と意味、火は戦場での兵法や心構え、風は武蔵の知る他流派の特徴と分析批評、そして空は剣の道を通じた武蔵の悟りが記されているでござるな」
GM「もちろん、武蔵個人の主観による書じゃから、それが唯一無二絶対の教えではないが、武道を志す者、あるいは創作で武芸者の修行や戦闘シーンのイメージを構築したい者が参考にできる『武芸の達人と言われた人物の遺した資料』であることは間違いない。ダイ大の『アバンの書』や、『鬼滅の刃』なども武蔵の書を直接あるいは間接的に引用したと思しきところもあり、多くの武者、武闘家の物語の戦術、武術、剣術の元ネタとなっていると言えよう」
ホリー「そいつは凄いですね。つまり、全ての武芸の道は、武蔵に端を発するということですか」
GM「さすがに全てとは言わんが、武蔵はすなわち『武術の思想の宝庫』。全ての宝が東大寺正倉院に納められているとは言わんが、それでも正倉院の宝が歴史文化遺産として重要なことは異論ないじゃろう。同じぐらいの伝統の重みが武蔵にはある。ある作家が武蔵を元にバトルを描いた。すると、そのバトルシーンに感じ入った者が、時には原典の武蔵にあやかり自分も勉強して違うバトルを描く。あるいは元ネタが武蔵と知らずに、作家のオリジナルと感じて、リスペクトするケースもあるじゃろう。そして、後から自分が描いたシーンの元祖が武蔵と知って、改めて武蔵すげえと勉強するケースもある。知らず知らずのうちに、武蔵のミーム、遺した考え方が、バトル物の土台を構築しているわけじゃ」
デル「子引き、孫引きで代々、受け継がれていく奥義の精神かぁ」
GM「もちろん、『五輪書』由来の戦法は多くのフィクションに描かれているため、そういう経緯を知らぬ者が読むと、半分ぐらいは『よくあるパターン、使い古された知ってる話だから、凄い奥義を期待して読んだら大したことは書いていなくて、がっかりした』という感想もあろう。ドラクエ3を今の若者がプレイしても、古くて面白さが分からないと考えたりするものか」
G太郎「古典というものは、よほど忘れ去られたものを除けば、ベーシックなものとしてジャンルの基盤となるゆえ、その後の発展した結果を知る者には、ただの古い当たり前の思想や芸事、よくある何かであって、新鮮さを感じないケースもあろうな」
GM「ただ、古典の中には『継承されなかった要素』『忘れ去られた良さ』みたいなものもあって、理解能力のない者は『自分が知っているものだけで判断して、知らない要素の良さには気付かない』ことも多く、宝の山の中に眠っているレアな、磨けば光るネタを見落としていたりもする。物の価値というのは、それに気付いた者が掘り起こして、今風に分かりやすく再構成して、その後で実は……と原典、元ネタを公開して、初めて評価されるケースもしばしばなのじゃ」
G太郎「それこそ、古い酒を新しい革袋に入れるということでござるな」
GM「リメイクやリブートも、古い素材を新しい今風の姿で描き直すということじゃからな。本来は、『新しい酒は新しい革袋に』というのが聖書の記述らしいが、要は新しいアイデアを活かすには、古い形式のままではダメなので、見た目も新しくしなければ、ということらしい」
デル「新しい酒を古い革袋に入れたらダメなのかぁ?」
GM「大抵は、それが新しいものだと受け止めてもらえないじゃろうな。古い酒で古い革袋だと、ただの古典。古い酒で新しい革袋だと、古典の現代的解釈や文芸復興にも通ず。新しい酒で新しい革袋だと、流行ジャンルだけど軽々しくも見える。新しい酒で古い革袋だと……古さを好む者にも、新しさを好む者にも期待外れで良さが伝わりにくい、と言ったところかの」
G太郎「まあ、伝統ジャンルの中で、新しい趣向を実験的に投入する形でござろうか。一見古びて見えるが、実は最新のパーツが使われて性能が高いレトロ機体というのは、マニアが喜びそうでござる」
GM「マニアが喜ぶのは大切じゃが、マニアしか喜ばないのでは、商売としては成り立たん。商業の理想は、マニアでなくても楽しめる軽い装いと、その奥にマニアが分かる深みがあるということで、知らなくても楽しめる、知っていればもっと楽しめる一粒で二度美味しい作品じゃな」
ホリー「その逆は、マニアじゃないと楽しめそうにない重い装いと、その奥にマニアががっかりする底の浅さしかない場合で、ライト層にもマニア層にも訴えかけるものがない話ですね」
GM「形だけマニアを真似て、中身がない作品はそんなものじゃのう。ガワだけ豪勢そうに見えて、中身がスカスカなものは損した気分になる。シンプルで読みやすく、それでいて密度が濃くて思ったよりも深い、これが理想じゃが、深さは作り手の学習量や人生経験にも起因するからのう。
「そして、何よりも『五輪書』は奥義書とは言え、実はシンプルで読みやすい。武蔵は理論家ではあるが、余計な虚飾を良しとしない性格ゆえ、華美で見た目の派手さを競った当時の道場剣術の流行に反し、勝つという一点に絞って練り上げた素朴かつ実戦的な剣術理論を書物に遺した。当然、その内容も素朴かつ実戦に応用しやすい。シンプルかつ奥が深く、若き日の実体験に基づく透徹した武の知見が老境に達して言葉に結実した書と見なせば、武道の師の教えそのままに読むことも、バトル創作のイメージ構築にも役立とう」
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