リプレイ前の雑談
ヒノキ「ゴブスレTRPG待望のサプリメントをゲットしたのじゃ」
ゲンブ「ほう、いかなる内容でござるか?」
ヒノキ「大雑把に言えば、新種族(ダークエルフ、獣人、獣憑き、吸血鬼関連)と新職業の死人占い師(ネクロマンサー)、新呪文や新アイテムいろいろ、新たに6種の神さま、そして新ルールの武技など豊富な内容で、じっくり研鑽すべき内容。逆に言えば、まだまだ研究不足なので、記事ネタにはしにくいと言えようか」
シロ「ゴブスレTRPGは、ボクとリトルは未経験ですね」
リトル「確か、アリナ様が圃人の斥候、ゲンブ師匠が蜥蜴人の用心棒なんかをプレイしていたんですよねぇ」
ヒノキ「当ブログでは過去、ルールブック付属のシナリオを使ったお試しプレイと、原作者作成のダンジョンシナリオを使った『令和VS珠保のゴブスレ対決イベント』の2つの冒険を行ったのじゃ」
ゲンブ「当ブログの妄想リプレイ第一弾は、2019年夏のゴブスレからスタートしたのでござるな」
ヒノキ「マッスル太郎が同年秋にスタートしたから、確かに妄想リプレイというタイトルが付いたのはゴブスレが最初となる。しかし、その前年の夏に花粉症ガールの修行物語の一環として、発売直後のソード・ワールド2.5のキャラを試しに作って、キャラバトルを行った経緯がある。その時はまだ、妄想リプレイとは名付けておらんが、当ブログでTRPG話を積極的に展開するようになったのは、それが最初じゃ」
ゲンブ「TRPGで新しいルールを買う→どんなシステムなのかざっと一読する→世界観や、どんなキャラがプレイできるかは読むだけでも分かるけど、細かい数値データの意味がよく分からない→試しにキャラを何人か作ってみる→ゴブリンなど適当なザコと模擬戦闘をしてみる→ルールブック付属のシナリオをチェックしながら、イメージを膨らませる→誰かプレイヤーを誘って試してみる。こんな感じでござろうか」
ヒノキ「まあ、細かい個人差はあれど、TRPGファンの定番はそんな感じじゃろう。中には、自分でルールブックは買わなくても、知り合いがGMをやってくれると聞いたので、ラッキーと思って誘われて楽しんでる苦労知らずなプレイヤー専門もいるじゃろうが、やはりマニアの道を進もうと思えば、ルールブックの購入は欠かせまい」
シロ「ルールの話でそれなりの知見を披露しようと思えば、ルールブックの所持は前提条件ですからね」
ヒノキ「何やら適当なことをコメントに書いてくるから、一家言あるのなら当然ルールブックを持っているものと確認してみたら、リプレイを読んだだけのマニア未満でしかなかったとか、ただの印象論だけで物を言っているとか、きちんと研鑽して語るほどの知識は持たないのに、何故か話をすっ飛ばして唐突に批判したがる輩がおって、こやつは何なんだ? と思うばかり」
ゲンブ「昔の思い出話の披露で懐かしがるとか、それぐらいで気軽に話を終えていればいいものを、『自分は詳しいんだと示したいばかりに、適当な嘘八百の意見とか、固有名詞の羅列だけで中身のないアピールを繰り返して、記事の話題そのものにはあまり触れないコメント』というのは、対応に困るのでござるな」
ヒノキ「まあ、TRPGにせよ何にせよ記事を読んで、刺激されて、そのテーマに沿ってコメント欄で自分語りをするまではまだいい。しかし、それに留まらず、テーマの作品を十分持ち上げることもせずに、わざわざ不見識な批判をするのが問題と言えよう。『〜〜はこうすべき』論というのは、識者が自分の経験や専門分野から筋を通して語る分にはなるほどな、と思うこともあるが、よく知りもしない者が識者ぶって思いつきで語ると、より詳しい人間には鼻白むこともしばしば」
シロ「TRPG関係のルール運用議論って、実際にプレイした者でないと分からないこともありますし、ルールの是非論は細かいデータの整合性とかもあって、自分の体験したエピソードと絡めて語ると納得できるのですけど、ルールの分析もろくにしていない者の空理空論とか何となくの印象論だと、知ってる者には浅はかにしか聞こえないんですね」
ヒノキ「別ブログのコメントで問題になったのが、『T&Tの戦士の防御点2倍ルール』の是非じゃ。『あの豪快で派手なルールが好き』で意見を止めておけば良かったのじゃが、『他のシステムでも採用すれば云々』とまで言ったのは、失言の部類じゃろう」
リトル「自分はこういう物を知っていて、好きなんですよ〜で話を止めておけばいいのに、自分が好きなものを他にも採用しろって言っちゃうのは、意見の是非が問題となりますねぇ」
ヒノキ「まあ、新兄さんはバカな意見と切り捨てたが、切り捨てるに当たって、自分のT&T知識を表明する必要に駆られて、当初の予定になかったT&T記事に時間を費やすに至った。まあ、結果としては記事書きのための問題提起として転禍為福できたわけじゃが、これを受けて、件のコメント主はどのように振る舞えば、新兄さんに一目置かれたと思う?」
シロ「今さらですが、謙虚に学ぶ人間をアピールしたいなら、『自分の拙い意見に対して、いろいろとフォローいただきありがとうございます。いい勉強になりました』とか、そんな感じでしょうか」
ヒノキ「これは、未熟な社会人が自分より目上の人から説教された際に、可愛がってもらえる定番の社交セリフなのじゃ。『なるほど、と感心してみせ、自分の未熟さを理解したフリをしてみせ、ご教示に感謝の意を示す』というのは、上下ある社会で世渡りする必須テクニックで、知見に対する『感心』『受容』『感謝』の3点セットは学生から若年社会人、弟子たる気概を持つ者のお勧めロールプレイと言えよう。あるいは、年を重ねても学び続ける者は、自分より知識のある若者に対して、謙虚にそういう姿勢を示しておることもしばしば。どこのリアルでも、フィクションでも、学んで成長するキャラというのは、その3点セットを忠実に実行しているのではないかのう」
ゲンブ「ウルトラマンZでもそうでござったな。『さすがはゼロ師匠。なるほど、こういう時はそういう手があったんですね。いい勉強になったッスよ』という関係性を構築していたようでござる」
ヒノキ「Zは成長する弟子キャラとして、いいロールプレイをしてみせた。一方で、そのZがハルキからは師匠の一人として敬意を向けられたりするのも楽しい。ハルキはあの世界で全てのキャラの弟子として、いろいろ吸収する『未熟だけど陽性前向きで成長が期待できる体育会系キャラ』として頑張った。と言うか、最近のウルトラは若者主人公の成長譚として、良質な人間ドラマを示してくれておる」
ゲンブ「オーブ殿だけは例外でござるがな。経験豊富な大人の風来坊で飄々としている」
ヒノキ「じゃが、クレナイ・ガイはかつて電王のラスボスまで務めた風格を持ちながら、先輩ウルトラマンに対しては謙虚に『さん付けで、お力をお借りする姿勢』を示していたので、ただの偉そうなおっさんではなく、相手に合わせた社交マナーを弁えた、昭和男が愛せる大人キャラだったわけじゃ。そう、大人とは局面に応じて、居丈高にも低姿勢にもなれる柔軟さを示せるもの。昔のドラマなんかでは、子どもが日頃は厳しく見える父親の職場での低姿勢にがっかりしながらも、家族のためならそのように振る舞うことの大切さを学んだりもしたものじゃ」
リトル「まあ、世間に向けて頭を下げる大切さと、自己主張が求められる場では毅然と振る舞って理を尽くす大切さは、今の大河ドラマでも生き方の例として示されていますねぇ」
ヒノキ「ラノベとかアニメじゃと、キャラの性格、振る舞い方は一定のテンプレートに沿って描かれ、例えば一人称が相手や局面に合わせてコロコロ変わるキャラも珍しいが、リアルでは友だち同士だと『俺』、フォーマルな仕事の際は『私』、フレンドリーな礼儀を示すには『ぼく』、相手との連帯感を示すには『わたくしたち』と主語一人称を切り替えるものであって、他にも周りが年下ばかりになると『わし』で威厳を示すとか、自己演出をどうするかで言葉遣いを修正することもあろう」
ゲンブ「キャラの性格や話し方がところ構わず固定されているのがリアルか、それともTPOで変わるのがリアルかは、日頃どういう社会で暮らしているかによっても違ってくるでござるな。アニメをリアルだと見ているのは、好きなアニメ以外の世界をあまり観察していなくて、実写ドラマでの『役割を演じる大人の社交』をリアルと思えんのかもしれん」
シロ「でも、ドモン・カッシュ役の関智一さんは、ドモンの演じ方について、語っていましたよ。普段は傍若無人で居丈高なオレ様自己中にも見えるドモンが、師匠の前だと私口調で敬語を使うキャラに変わり、しかし師匠と訣別を誓ったら、師匠に負けないように偉そうな貴様呼ばわり(実はこの偉そうな口調そのものが、目前の師匠の話し方の引き写しなんですけど)。さらにキョウジ兄さんとシュバルツが同時に散る場面では、幼少期に戻ったように、ぼく口調に(脚本ではオレだったのに)切り替えたとか、TPOに合わせたような使い分けを意識したそうです」
ヒノキ「ガンダムのアムロも少年の時はぼくで、大人になると俺に一人称を変えおったな。しかし、35歳のランバ・ラルがすでに『わし』口調なのが笑う。あの人の周囲には幼少期から年長親父キャラしかいないので、無意識に口調が移ったという意見もある」
ゲンブ「いや、あの御仁は背が低いというコンプレックスがあったから、髭を蓄え、わし口調で、荒くれ部下の前で威厳を示す必要があってのスタイルという意見もあるでござる」
シロ「なるほど。複数の意見を聞いて、どちらも一聴に値すると思えるのが見識。いや、それはおかしいだろうと即座にツッコまれる言い分が、いわゆるボケですね。いい勉強になります」
ヒノキ「困ったのは、世間一般の考え方とのズレがボケを生むのじゃが、世間一般をよく知らない者は、自分がボケたことを言っているという自覚が持てぬもの。すなわち、せっかくの面白いネタになる変わった経験や物の見方を、芸に昇華できないらしい。ボケ芸というのは、世間一般の常識を知っているがゆえに、『普通はこう考えるのに、こんな可笑しなリアクションをとる。変な奴やな』という演技を狙って計算できる。まあ、それを計算でなく素でやっちゃうのは天然ボケと言われるが、天然ボケは純粋さ、無邪気さとセットなので、批判したがる性格とは相性が悪い。どんな面白さの素質、原石も、混ぜ方、組み合わせ方を間違えると台無しになるわけじゃ」
ゲンブ「批評芸とはツッコミ芸の一種。ツッコミは、他人のボケを良識っぽくイジりながら、その可笑しさを持ち上げて笑いをとるスタイル。芸人コンビによっては攻撃しているように見えるが、実はボケの面白さを引き立てるのがツッコミの役割で、そこを勘違いしているのが素人にありがちでござるな」
ヒノキ「関西ではボケ芸が庶民の味方で人気が出るのに対し、関東では良識人に見えるツッコミがバカなボケ役を格下に見て、上から目線を人気者だと見なしているゆえ、知識人ぶろうという空気が蔓延しているようじゃ。もっとも、現場で重宝されるのは、稀少なボケ芸人という」
シロ「まあ、人気ラノベの主人公は、一人ボケ一人ツッコミができる者らしいですね」
ヒノキ「日常ではボケて、バトルではツッコミ役に回るという二面性が、昔から変わらないエンタメパターンとのことじゃ。頭がいいボケ芸人というのが、クールかつコミカルを体現したスタイルらしいのう」
ゲンブ「ところで、これは一体、何の話でござるか?」
ヒノキ「……実はゴブスレサプリの話から速やかに、魔神ハンターの話に移ろうと思っていたのじゃが、ゴブスレサプリの研鑽不足が祟って、こうなった次第。やはり、ルールの分析が不十分じゃと、実のある話にはならんのう」
シロ「別方面で、変な実がいっぱい成っているようにも思えますが」
リトル「雑談から成る実は、雑学に通じるですぅ」
続きを読む