花粉症ガール外伝・コンパーニュ記

会話リプレイ形式の「精霊少女や仲間たちの趣味雑談ブログ」。お題はTRPGを中心に特撮・怪獣ネタ成分が濃厚。現在は、ソード・ワールドのミストグレイヴ妄想リプレイ「魔神ハンター」を終了に向けつつ寄り道迷走気味。

魔神ハンター、隠者の迷路へ(SWミストグレイヴ3ー1)

リプレイ前の雑談

 

ヒノキ「ゴブスレTRPG待望のサプリメントをゲットしたのじゃ」

ゲンブ「ほう、いかなる内容でござるか?」

ヒノキ「大雑把に言えば、新種族(ダークエルフ、獣人、獣憑き、吸血鬼関連)と新職業の死人占い師(ネクロマンサー)、新呪文や新アイテムいろいろ、新たに6種の神さま、そして新ルールの武技など豊富な内容で、じっくり研鑽すべき内容。逆に言えば、まだまだ研究不足なので、記事ネタにはしにくいと言えようか」

シロ「ゴブスレTRPGは、ボクとリトルは未経験ですね」

リトル「確か、アリナ様が圃人の斥候、ゲンブ師匠が蜥蜴人の用心棒なんかをプレイしていたんですよねぇ」

ヒノキ「当ブログでは過去、ルールブック付属のシナリオを使ったお試しプレイと、原作者作成のダンジョンシナリオを使った『令和VS珠保のゴブスレ対決イベント』の2つの冒険を行ったのじゃ」

ゲンブ「当ブログの妄想リプレイ第一弾は、2019年夏のゴブスレからスタートしたのでござるな」 

ヒノキ「マッスル太郎が同年秋にスタートしたから、確かに妄想リプレイというタイトルが付いたのはゴブスレが最初となる。しかし、その前年の夏に花粉症ガールの修行物語の一環として、発売直後のソード・ワールド2.5のキャラを試しに作って、キャラバトルを行った経緯がある。その時はまだ、妄想リプレイとは名付けておらんが、当ブログでTRPG話を積極的に展開するようになったのは、それが最初じゃ」

ゲンブ「TRPGで新しいルールを買う→どんなシステムなのかざっと一読する→世界観や、どんなキャラがプレイできるかは読むだけでも分かるけど、細かい数値データの意味がよく分からない→試しにキャラを何人か作ってみる→ゴブリンなど適当なザコと模擬戦闘をしてみる→ルールブック付属のシナリオをチェックしながら、イメージを膨らませる→誰かプレイヤーを誘って試してみる。こんな感じでござろうか」

ヒノキ「まあ、細かい個人差はあれど、TRPGファンの定番はそんな感じじゃろう。中には、自分でルールブックは買わなくても、知り合いがGMをやってくれると聞いたので、ラッキーと思って誘われて楽しんでる苦労知らずなプレイヤー専門もいるじゃろうが、やはりマニアの道を進もうと思えば、ルールブックの購入は欠かせまい」

シロ「ルールの話でそれなりの知見を披露しようと思えば、ルールブックの所持は前提条件ですからね」

ヒノキ「何やら適当なことをコメントに書いてくるから、一家言あるのなら当然ルールブックを持っているものと確認してみたら、リプレイを読んだだけのマニア未満でしかなかったとか、ただの印象論だけで物を言っているとか、きちんと研鑽して語るほどの知識は持たないのに、何故か話をすっ飛ばして唐突に批判したがる輩がおって、こやつは何なんだ? と思うばかり」

ゲンブ「昔の思い出話の披露で懐かしがるとか、それぐらいで気軽に話を終えていればいいものを、『自分は詳しいんだと示したいばかりに、適当な嘘八百の意見とか、固有名詞の羅列だけで中身のないアピールを繰り返して、記事の話題そのものにはあまり触れないコメント』というのは、対応に困るのでござるな」

ヒノキ「まあ、TRPGにせよ何にせよ記事を読んで、刺激されて、そのテーマに沿ってコメント欄で自分語りをするまではまだいい。しかし、それに留まらず、テーマの作品を十分持ち上げることもせずに、わざわざ不見識な批判をするのが問題と言えよう。『〜〜はこうすべき』論というのは、識者が自分の経験や専門分野から筋を通して語る分にはなるほどな、と思うこともあるが、よく知りもしない者が識者ぶって思いつきで語ると、より詳しい人間には鼻白むこともしばしば」

シロ「TRPG関係のルール運用議論って、実際にプレイした者でないと分からないこともありますし、ルールの是非論は細かいデータの整合性とかもあって、自分の体験したエピソードと絡めて語ると納得できるのですけど、ルールの分析もろくにしていない者の空理空論とか何となくの印象論だと、知ってる者には浅はかにしか聞こえないんですね」

ヒノキ「別ブログのコメントで問題になったのが、『T&Tの戦士の防御点2倍ルール』の是非じゃ。『あの豪快で派手なルールが好き』で意見を止めておけば良かったのじゃが、『他のシステムでも採用すれば云々』とまで言ったのは、失言の部類じゃろう」

リトル「自分はこういう物を知っていて、好きなんですよ〜で話を止めておけばいいのに、自分が好きなものを他にも採用しろって言っちゃうのは、意見の是非が問題となりますねぇ」

ヒノキ「まあ、新兄さんはバカな意見と切り捨てたが、切り捨てるに当たって、自分のT&T知識を表明する必要に駆られて、当初の予定になかったT&T記事に時間を費やすに至った。まあ、結果としては記事書きのための問題提起として転禍為福できたわけじゃが、これを受けて、件のコメント主はどのように振る舞えば、新兄さんに一目置かれたと思う?」

シロ「今さらですが、謙虚に学ぶ人間をアピールしたいなら、『自分の拙い意見に対して、いろいろとフォローいただきありがとうございます。いい勉強になりました』とか、そんな感じでしょうか」

ヒノキ「これは、未熟な社会人が自分より目上の人から説教された際に、可愛がってもらえる定番の社交セリフなのじゃ。『なるほど、と感心してみせ、自分の未熟さを理解したフリをしてみせ、ご教示に感謝の意を示す』というのは、上下ある社会で世渡りする必須テクニックで、知見に対する『感心』『受容』『感謝』の3点セットは学生から若年社会人、弟子たる気概を持つ者のお勧めロールプレイと言えよう。あるいは、年を重ねても学び続ける者は、自分より知識のある若者に対して、謙虚にそういう姿勢を示しておることもしばしば。どこのリアルでも、フィクションでも、学んで成長するキャラというのは、その3点セットを忠実に実行しているのではないかのう」

ゲンブ「ウルトラマンZでもそうでござったな。『さすがはゼロ師匠。なるほど、こういう時はそういう手があったんですね。いい勉強になったッスよ』という関係性を構築していたようでござる」

ヒノキ「Zは成長する弟子キャラとして、いいロールプレイをしてみせた。一方で、そのZがハルキからは師匠の一人として敬意を向けられたりするのも楽しい。ハルキはあの世界で全てのキャラの弟子として、いろいろ吸収する『未熟だけど陽性前向きで成長が期待できる体育会系キャラ』として頑張った。と言うか、最近のウルトラは若者主人公の成長譚として、良質な人間ドラマを示してくれておる」

ゲンブ「オーブ殿だけは例外でござるがな。経験豊富な大人の風来坊で飄々としている」

ヒノキ「じゃが、クレナイ・ガイはかつて電王のラスボスまで務めた風格を持ちながら、先輩ウルトラマンに対しては謙虚に『さん付けで、お力をお借りする姿勢』を示していたので、ただの偉そうなおっさんではなく、相手に合わせた社交マナーを弁えた、昭和男が愛せる大人キャラだったわけじゃ。そう、大人とは局面に応じて、居丈高にも低姿勢にもなれる柔軟さを示せるもの。昔のドラマなんかでは、子どもが日頃は厳しく見える父親の職場での低姿勢にがっかりしながらも、家族のためならそのように振る舞うことの大切さを学んだりもしたものじゃ」

リトル「まあ、世間に向けて頭を下げる大切さと、自己主張が求められる場では毅然と振る舞って理を尽くす大切さは、今の大河ドラマでも生き方の例として示されていますねぇ」

 

ヒノキ「ラノベとかアニメじゃと、キャラの性格、振る舞い方は一定のテンプレートに沿って描かれ、例えば一人称が相手や局面に合わせてコロコロ変わるキャラも珍しいが、リアルでは友だち同士だと『俺』、フォーマルな仕事の際は『私』、フレンドリーな礼儀を示すには『ぼく』、相手との連帯感を示すには『わたくしたち』と主語一人称を切り替えるものであって、他にも周りが年下ばかりになると『わし』で威厳を示すとか、自己演出をどうするかで言葉遣いを修正することもあろう」

ゲンブ「キャラの性格や話し方がところ構わず固定されているのがリアルか、それともTPOで変わるのがリアルかは、日頃どういう社会で暮らしているかによっても違ってくるでござるな。アニメをリアルだと見ているのは、好きなアニメ以外の世界をあまり観察していなくて、実写ドラマでの『役割を演じる大人の社交』をリアルと思えんのかもしれん」

シロ「でも、ドモン・カッシュ役の関智一さんは、ドモンの演じ方について、語っていましたよ。普段は傍若無人で居丈高なオレ様自己中にも見えるドモンが、師匠の前だと私口調で敬語を使うキャラに変わり、しかし師匠と訣別を誓ったら、師匠に負けないように偉そうな貴様呼ばわり(実はこの偉そうな口調そのものが、目前の師匠の話し方の引き写しなんですけど)。さらにキョウジ兄さんとシュバルツが同時に散る場面では、幼少期に戻ったように、ぼく口調に(脚本ではオレだったのに)切り替えたとか、TPOに合わせたような使い分けを意識したそうです」

ヒノキ「ガンダムアムロも少年の時はぼくで、大人になると俺に一人称を変えおったな。しかし、35歳のランバ・ラルがすでに『わし』口調なのが笑う。あの人の周囲には幼少期から年長親父キャラしかいないので、無意識に口調が移ったという意見もある」

ゲンブ「いや、あの御仁は背が低いというコンプレックスがあったから、髭を蓄え、わし口調で、荒くれ部下の前で威厳を示す必要があってのスタイルという意見もあるでござる」

シロ「なるほど。複数の意見を聞いて、どちらも一聴に値すると思えるのが見識。いや、それはおかしいだろうと即座にツッコまれる言い分が、いわゆるボケですね。いい勉強になります」

ヒノキ「困ったのは、世間一般の考え方とのズレがボケを生むのじゃが、世間一般をよく知らない者は、自分がボケたことを言っているという自覚が持てぬもの。すなわち、せっかくの面白いネタになる変わった経験や物の見方を、芸に昇華できないらしい。ボケ芸というのは、世間一般の常識を知っているがゆえに、『普通はこう考えるのに、こんな可笑しなリアクションをとる。変な奴やな』という演技を狙って計算できる。まあ、それを計算でなく素でやっちゃうのは天然ボケと言われるが、天然ボケは純粋さ、無邪気さとセットなので、批判したがる性格とは相性が悪い。どんな面白さの素質、原石も、混ぜ方、組み合わせ方を間違えると台無しになるわけじゃ」

ゲンブ「批評芸とはツッコミ芸の一種。ツッコミは、他人のボケを良識っぽくイジりながら、その可笑しさを持ち上げて笑いをとるスタイル。芸人コンビによっては攻撃しているように見えるが、実はボケの面白さを引き立てるのがツッコミの役割で、そこを勘違いしているのが素人にありがちでござるな」

ヒノキ「関西ではボケ芸が庶民の味方で人気が出るのに対し、関東では良識人に見えるツッコミがバカなボケ役を格下に見て、上から目線を人気者だと見なしているゆえ、知識人ぶろうという空気が蔓延しているようじゃ。もっとも、現場で重宝されるのは、稀少なボケ芸人という」

シロ「まあ、人気ラノベの主人公は、一人ボケ一人ツッコミができる者らしいですね」

ヒノキ「日常ではボケて、バトルではツッコミ役に回るという二面性が、昔から変わらないエンタメパターンとのことじゃ。頭がいいボケ芸人というのが、クールかつコミカルを体現したスタイルらしいのう」

ゲンブ「ところで、これは一体、何の話でござるか?」

 

ヒノキ「……実はゴブスレサプリの話から速やかに、魔神ハンターの話に移ろうと思っていたのじゃが、ゴブスレサプリの研鑽不足が祟って、こうなった次第。やはり、ルールの分析が不十分じゃと、実のある話にはならんのう」

シロ「別方面で、変な実がいっぱい成っているようにも思えますが」

リトル「雑談から成る実は、雑学に通じるですぅ」

  

雑談からの切り替わり

 

ヒノキ「何にせよ、久しぶりのプレイじゃからな。雑談で場を温めようとしておったら、ついつい雑談の方が長引きすぎたという次第」

ゲンブ「アリナ様、そういう時のGMテクニックがあるでござる」

ヒノキ「分かっておる。『それでは、これよりプレイを開始する』と明確に宣言することじゃな。これより、わらわはゲームマスター・アリナじゃ」

G太郎(ゲンブ)「では、久々のマッスルG太郎でござるよ。第3部のキーワードは『経済』『金儲け』『ガメルのために』でござる」

GM(ヒノキ)「何だか当初とキャラが変わっておるが、まあ、第2部の物語を受けてのことなら納得できると言えようか」

G太郎「人は縁に触れて変わるものでござる。己を改めようとしない者は、成長の機を逃す。TPOに応じて、自己の役割を模索、規定して、いたずらに頑迷にならぬよう、柔軟に対処する。それが、私が新星殿より学んだ生きる道」

GM「それはゲンブであって、G太郎のロールプレイではないな」

ホリー(シロ)「大体、ゲンブもG太郎も人ではないだろう」

G太郎「正体は怪獣の眷属だったり、魔神だったりしても、人の文化に沿って役割演技、TRPGをしている以上は、心は人でござるよ」

ホリー「では、ボクだ。ホリー・カーシェイン、好きなものは『騎獣のイノセント』、何ならイノセントイノセントイノセントとノートに100回書いてもいいイノセント」

デル(リトル)「イノセントピアの住人かよぉ」

GM「と言うか、いくら作者が同じとは言え、どこでも同じギャグネタを繰り返すのも芸がないのう。異世界トピアネタは、ここでは禁じ手にしたいところじゃ」

ホリー「まあ、ボクたちも同じTV番組を見ているんだから、面白いネタは伝播するものでしょ?」

GM「それは確かに道理じゃ。趣味話をするのに、相手と同じTV番組を見たり、互いの作品鑑賞経験を確認して、話題を合わせ、ある程度、共通の土台を構築し、知見を揃えようとするのは当然。ブログ主は自分の知見に合わせて、不特定多数、あるいは自分の趣味を楽しんでくれる読者に向けて記事書きしているのに対し、その記事を無視したコメントを書くのは、『ブログ主の話に合わせられないから、自分の話に合わせろ』とわがままを言っているに等しい。普通は、客が相手の文化を学んで、興味を持って訪れるものじゃろう?」

G太郎「まあ、ホスト役がおもてなしのサービス精神で、多くの客を歓待するケースもあるでござるがな」

GM「おもてなしを示すのは、客が国際的なマナーを解する文化人やスポーツ選手だったり、金や情報などのメリットをもたらすことを想定してのことじゃ。快や見識、利をもたらさぬ相手をホストが歓待する道理はない。常識を解さぬトラブルメーカーと知ったら、それに相応しい処遇でもてなすのは法治社会では当然のこと」

デル「郷に入らば郷に従えぇ。ローマではローマ人のように行動せよぉ。趣味人のブログでは、相手の趣味に合わせた振る舞いを心掛けよぉってことですねぇ。そして、蛮族の地下世界では、蛮族の流儀に合わせるのがサバイバルには必要だとぉ」

G太郎「どこの世界にも、そこに合わせた流儀があって、その流儀に応じられる者だけが一目置かれ、流儀を解さぬ者は異物と見なされる。まあ、流儀に合わせずに自己を貫くスタイルもありでござるが、その場合は、自分の居場所は別に確保しないと、追い出されて行き場を失うことになりかねん。自分の居場所の構築は、自分を固め、周囲からの信頼を勝ち得るのに有効な手段。ただの根無し草なのか、自分の足場を固めているかは、冒険生活においても重要でござろう」

デル「それで、遅ればせながら自己紹介だが、G太郎師匠の弟子のデルニール・イーストンだぁ。『魔神ハンター』『烈火団』のパーティー名は、どっちもオラのキャラに由来するものなので、キーワードに使えるだろうさぁ。本部も設立して足場固めができたので、いよいよ魔神退治の目的に向かって邁進するぜぇ」

GM「第3部は、地下都市の上階層・北の探索から魔窟探索が中心になる予定なのじゃ」

 

本部にて

 

GM「そして、上階層中心部に拠点を構えたお主たち烈火団の物語は、冒険を始めて20日めの朝から再開される。前の話が17日めの夜に終わって、その間は本部の設営でバタバタしていたということじゃ。亡者の巣窟となっていたライフォス神殿を、表向きはグレンダール神殿として改修し、同時に交易拠点としても東の煌びやか卿を始めとする周辺諸勢力と上手く交渉して、いたずらに敵対しないよう認可をとったという次第」

G太郎「表向きの神殿長はダークドワーフの鍛治師ワジマ殿で……」

ホリー「あれこれ経営を賄うのは、ライフォス神官見習いのメルだったな」

GM「ああ、この機にメル嬢は正式に神官として認定を受けることとなった。そして、彼女の名前は貨幣神ガメルに通じるものがあるとして、この機にガメル神官としての研鑽を始めることにした」

デル「え? 信じる神を変えるのってありなのかぁ?」

GM「正式なルールにはないが、元々は神官見習いだったし、信仰系列が似ている神なら、より自分の状況に合わせた神に鞍替えするのもありじゃろうと判断した。ガメル神の教義は、貨幣を通じた人々の誠意ある交流であり、信用取引を重んじる。それは調和神ライフォスの教えとも矛盾するものでない。事実、ガメル神はライフォス神に認められて、神格を得た神という設定で、ライフォス信仰を学んだ彼女が、商売という責任を感じた際にガメル神の声を聞いたとしても不思議ではない」

G太郎「ガメル神官の名前がメルということは、正に或人級のダジャレセンスとも言えよう。うむ、お笑い芸人としては、上手く話がつながったと思うし、ルーンフォークでなければ私がガメル神官になりたかったぐらいでござる。私の代わりに、しっかりガメル神官を務めてくれよ」

ホリー「つまり、ここはグレンダールとガメルとライフォスの3つを祀る神殿になるんだな」

GM「なお、それぞれの神の教義は以下の通り」

★ガメル神の教義

 

・金は貯めるだけでは価値がない。正しく使ってこそ、価値がある。

・約束を破るべからず。約束を守るべく、全力を尽くすべし。

・価値を見定め、公平に配分せよ。流した汗と用いた知恵に、価値は宿る。   

★グレンダール神の教義

 

・炎が鉄を鍛える。苦難と逆境が人を鍛える。

・熾火のごとく潜み、烈火のごとく攻めよ。

・工夫せよ。思考せよ。蛮勇は勝利を遠ざける。 

★ライフォス神の教義

 

・汝の隣人を愛せよ。調和の中にこそ、真の平和は生まれる。

・秩序こそ、平和を守る大いなる盾であり、城である。

・奪うべからず、騙すべからず、殺すべからず。与え、信じ、命を共有せよ。

G太郎「しかし、ライフォス神の教義の3条めは、杓子定規に考えると、冒険者活動などできぬでござるなあ。敵を倒して、戦利品を奪うのが冒険活動の一環であるがゆえに」

GM「その辺は解釈論の問題じゃな。ライフォスは法治を旨とするため、法を犯した犯罪者を処罰したり、敵対する蛮族や、凶暴な獣の類と戦ったり、狩りや猟、漁のような生活手段まで禁じる教えではない。あくまで人族同士、仲良くしようって考え方で、人族を脅かさない蛮族なら調和も可能じゃが、どちらかと言えば蛮族の方が敵対的なので、応戦やむなしという考え方が主流派。より過激に蛮族と敵対して戦う神は、太陽神ティダンの方で、ライフォス自身は穏和な性格だったと言われている」

ホリー「フォーセリアの至高神ファリスの系譜がライフォスとティダンに分かれ、戦神マイリーの系譜がグレンダールで、商売神チャ・ザの系譜がガメルと言ったところかな」

GM「細かいところは違うが、大体はそんな感じに考えても良かろうな」

G太郎「ところで、冒険を再開するのはもちろんでござるが、せっかくの経済話を展開しているので、ここはやはり名誉点事業ルールを使ってみたいでござる」

GM「そんなことを2ヶ月前の研鑽記事で言っておったな」

GM「では、名誉点事業ルールを試みに使ってみるかの。まず、事業の種別11種類から、どんな職種を選ぶか決めることじゃ」

ホリー「冒険者の店、飲食提供、服飾・工芸、運送、傭兵斡旋、展示館、劇団・楽団、一次産業、神殿、学問所、福祉施設か」

デル「選ぶまでもなく、神殿で決まったんじゃないかぁ」

G太郎「私としては、お笑い劇団を経営してみたくもあるが、さすがにグレンダールとかライフォスでお笑いというのも変でござるな」

デル「お笑い芸人向けの神さまって何かいるかなぁ」

GM「うーむ。酒幸神サカロスぐらいかのう。ラクシアには数々の神格があれど、意外と芸能を司る神というものが見受けられん。フォーセリアなら吟遊詩人の神ヴェーナーというのがあって、人々に感情を伝えることを推奨しておる。当然、喜劇の公演もヴェーナー神の管轄じゃろうが、ラクシアでは物語を司るのはキルヒアなどの知識神の分野で、割と真面目な印象が強い。派手な芸能活動を祝福するような神、『人生は劇場なり』とか『笑う門には福来る』的な教義を持った神は確認されんかった」

G太郎「演劇の神とか、興行神とか、ハッピーの心の集合神とか、小神として独自に作るというのもありでござろうか」

ホリー「喜びの賢神キャンデリラとか、快楽の従僕神ラッキューロとか、幸福女神グリージョとか公式ではできない神を独自に設定するのも一興」

GM「必要なら、特殊神聖魔法のアイデア5つとセットで考えるといい。わらわは面倒だからやらんが、プレイヤーの要望と熱意があれば、検討ぐらいはしてもみせよう」

G太郎「特殊神聖魔法は、強制的に笑わせるとか、笑顔で魅了するとか、笑顔でラッキーをもたらすとか、明るい声を響かせるとか、ギャグのアイデアをひらめくとか、そんなところでござるか」

GM「コミュニケーションスキルの低そうな者には、非常にありがたい神さまに聞こえるやもな。ともあれ、名誉点事業に話を戻すと、神殿経営を試すということで良いのじゃな」

デル「まあ、神殿は普通に経営するんだろぉ。それを背景情報のフレーバーだけで処理するか、実際にルール運用して、損失や利益が発生するようにするかってことでぇ」

GM「最低限、名誉点を50点払い、投資額1000ガメル以上を費やせば、ミッション達成後のキャラ成長時に収支決算を行うことになる」

G太郎「では、一人名誉点50点を払い、合計名誉点150点の神殿事業を開始。投資額は、パーティー財産の真鍮戦士勲章4つを払って、ピッタリ1000ガメル使用。後はミッションを終えてからの判定で、結果を見てから考えようでござる」

GM「うむ。烈火団本部の神殿は、名声度150。ご近所で好評。ごく狭い範囲で知られ始めたのじゃ」

G太郎「地元で愛される烈火団であらねばな」

GM「お主らは、魔神ハンターであり、蛮族の地下都市で潜入活動をしている密偵であることを、くれぐれも忘れぬようにのう」

 

冒険の目的

 

GM「それで、本部経営はメルやワジマに任せるとして、冒険を始めてもらおうか」

G太郎「まずは、本部の北の区画に赴いて、隠者ヴァラルトに会いに行こうと思う。クエストもあるが、ご近所付き合いも果たさねばならん。隠者どのと仲良く付き合えるなら問題ないが、仮に隠者が悪事を企てる陰謀家であるならば、本部の安泰のために危険は排除しておいた方がいい。自分の身の回りには、不穏分子はいないに限るでござるからな」

ホリー「クエストで、隠者への協力要請が出ているので、敵対的とは思わないんだが?」

G太郎「まあ、プレイヤー視点ではそうだと思うが、迷路の奥に潜んでいる引きこもり魔法使い相手だと、対応を間違えると機嫌を損ねて敵対する可能性は常にある」

デル「相手の研究テーマに対して、否定的なことを言ってしまうとかぁ?」

GM「自分が好きなものに対して、無理解な態度を示す相手に対して、好意的に接するのは難しいじゃろう。自己主張の自由は誰にでもあろうが、何を言っても相手が受け入れてくれるというものではない。相手の好意を得るのが目的なら、相手の好みに合わせるのは当然の社交だし、それが不可能なら胡乱な知識で下手にいじらないのが賢明な態度というもの。そして、自己の主義主張の押しつけは、それが練りに練った見識であり、きちんと筋道立てた説明でない限りは、まず共感は得られないものと言えよう」

ホリー「共感を得られるのは、どんな時ですか?」

GM「当然、既にお膳立てが整えられている時じゃろう。興味関心の幅が重なっていれば、そこをアピールすることで、会話の突破口は開けよう。しかし、それは話題作りができるというだけで、問題はその話題に関して、どれだけの見識内容を示し得るか、あるいは話の展開の仕方で相手の関心を維持できるか、ということじゃ。例えば、作品タイトルや登場キャラの名前を挙げるだけで、そこから膨らませた話ができないのは、知っているだけで、話そのものがつまらないと言える。フルーツ好きが、りんご、みかん、ぶどう、パイナップル……と果物の名前をただ並べただけで、どれも美味しいですね、と言ったところで、話は盛り上がらない。とは言え、嫌いなフルーツの悪口を言っても、相手がそれを好きだった場合に余計な波風を立ててしまうリスクが大きい」

ホリー「相手がよほどりんご好きで、りんごについて語りたいという秘めたる欲望があれば、ツボを突いたと言えますね」

GM「りんごと言えば、まず青森なんでしょうが、自分は長野産の方が気に入ってるんです。特に『アルプス乙女』とか『秋映』といったネーミングセンスがいいですね。長野の『シナノスイート』が青森でも生産されていると知った時は、長野産をパクるなよ、青森、プライドないのか? って思ったりもしました。いや、別に青森にケンカを売っているわけではないですけど。青森だと『未希ライフ』がネーミング由来的に面白いですね。元ネタが大河ドラマだそうで、いい勉強になります……といった感じで、一つのテーマで、どこまで話題を深められるかが見識というものではないかのう」

デル「そこまで知ってないとダメなのかぁ」

GM「いや、りんごというネタで、ネット検索してみた。何かを話題にするときに、知っていることを口にするだけでなく、少し小ネタを混ぜるために調べたくなったりはしないかのう? 対面対話なら、相手のリアクションで話題を発展させる流れも大事だし、相手の振った言葉を受け止めて、自分の知識と絡めて、互いの知っていることをつなぎ合わせるのが会話の醍醐味。自分の一人語りみたいな記事やコメントなら、自分の発言にどれだけの情報価値が付与されているかを意識して、エッセイを書くぐらいのつもりで膨らませるのがサービス精神、あるいは知への好奇心というもの。要は、書いた後に自分の見識が少しでも広がることを書かねば、読む相手に対しても失礼ではないかのう」

デル「知っていることを書くだけではダメなのかぁ?」

GM「知っていることが必要十分で、それだけで相手を楽しませられる見識、もしくはセンスの持ち主なら構わんが、相手の方が自分よりも詳しいジャンルで、認められようと思えば、あれこれ料理の仕方で個性を演出せねばならぬし、知っていれば誰でも言えそうなことを書いてもクリエイティブとは言えまい。こういう話の展開は自分にしかできないだろうとか、逆に手堅くまとめてスッキリさせるとか、自分の書く目的に合わせて、何を書くか考えながら、読む相手の快、見識、価値判断に何らかのプラスを与えられる文章、それを目指すのがサービス精神じゃろう」

G太郎「俺の歌を聞けえ、とシャウトしていいのは、その歌に秘められた想い、魂が相手の心を震わせるという自信があって、自分磨きに余念がないアーティストだからこそ、でござるな」

GM「ただ、自分のことを分かって、と言うだけなら、その自分が他人に示して恥じないかどうかを客観的に見た上で、ということじゃな。そして、相手の価値観に相容れないかもしれない生の自分を見せたいなら、それは他人に押し付けるのではなく、自分だけのエッセイ、独り語りとして自分日記で書き続けていれば、いつか共感できる誰かに届くかもしれぬ。不愉快なものを押し付けられても、それは追い返すしかないけれど、自分から興味を持って覗いたものに対しては、文句を言うこと自体が無粋じゃからのう。『イヤなら読むな』『イヤだから読ませるな』の、わがままが通るのが『仕事とは関わりない趣味のネット作法』なので、他人が見てイヤなネガティブ成分は自分の日記で処理して、人に対しては極力、快や利益を提示するのが、サービス精神と言ったところかのう」

ホリー「つまり、迷路の奥に引きこもっている隠者に対しては、そういう心構えで臨めってことか」

GM「どんな迷路かは、次回の楽しみじゃ」

デル「今回の記事も、十分な迷路だったと思うがなぁ」

G太郎「迷いに迷って、ちっとも先に進めなかったという意味では、同感でござる」

(当記事 完)