花粉症ガール外伝・コンパーニュ記

会話リプレイ形式の「精霊少女や仲間たちの趣味雑談ブログ」。お題はTRPGを中心に特撮・怪獣ネタ成分が濃厚。現在は、ソード・ワールドのミストグレイヴ妄想リプレイ「魔神ハンター」を終了に向けつつ寄り道迷走気味。

山の日(ドゴラの日)とケイPトーク

NOVA「本日、8月11日は山の日、改めドゴラの日だ」

ケイPマーク1『おお、マスター。オラの誕生日を覚えていてくれたんだな』

NOVA「ああ、1964年8月11日『宇宙大怪獣ドゴラ』の封切り公開日だからな。山の日という2年前に制定されたばかりの祭日には、何のこだわりも感じないが、ドゴラの日となれば、話は別。いろいろとネタを広げるきっかけになる。何だかんだ言って、今日からお盆休みというのも大きいな。ちょっとした小ネタで記事書きする余裕が普通にある」

ケイP『仕事のある日だったら?』

NOVA「『何で、疲れているのに、ドゴラのことを語らないといけないんだ? 他にやりたいことはいろいろあるのに』ってネガティブになっていたろうな」

ケイP『今の記事書きしている気分は?』

NOVA「『よっしゃ。日頃はこちらもお世話しつつ、娘の翔花のために懸命に頑張ってくれているドゴラちゃんのために、時間を使うのもいいかあ』って感じだな。ほれ、誕生日プレゼントのかっぱえびせんだ。今回は特別にフレンチサラダ味だぞ」

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ケイP『うお、これはまたスペシャルって感じだな。フレンチサラダ、略してフレンダーって書くと、オラはジェットやマリン、タンク形態に変形したくなる。オラは、今日が祭日ということに、これほど感謝したことはない』
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NOVA「考えてみれば、お前って変形自在なペットキャラって、便利な存在なんだよな。お前の可能性をいろいろ考えてみると、実に優秀であることに気づかされることもしきりだ。ここで重要なのは、ドゴラちゃんは学習能力が高く、俺や翔花のために役立ってくれて、当ブログ記事においては必要不可欠なキャラに成長してくれたってことだ。暴走する危険があるのが不安材料だったが、それは俺だって、翔花だって、仮面ライダーだって、キカイダーだって、エヴァンゲリオンだって、尻尾付きサイヤ人だって十分考えられるわけで、その暴走をどれだけ制御できるかがドラマの鍵にもなる」

ケイP『おお、暴走には良い暴走も悪い暴走もあるってことだな』

NOVA「いや、暴走は普通、悪いものだが、それをうまくコントロールできるか、できないかがポイントだと思う。ということで、この機会に暴走ってことを考えてみよう」


暴走についての考察


ここから俺は地の文だ。
まず、元々の言葉の定義だが、「常軌や規則を無視して、乱暴に走行すること」を言う。
乗り物の操作を指すことが普通だが、人間でもキレたり、トチ狂ったり、普段と違う常軌を逸した行動で、冗談じゃ済まないレベルの迷惑をかけたり、周囲からドン引きされたりするのを、暴走と表現することもある。
酒を飲んだり、薬物でラリったり、仕事疲れだったり、花粉症だったり、徹夜明けだったり、いろいろな原因でハイテンションになるケースも考えられるな。まあ、ハイテンションでも他人に迷惑をかけずに、ノリノリ気分を記事書きに活用したり、自分の中で建設的に処理することもできるが、そういうのは暴走ではなく、ブーストアップとかギアチェンジとか称することも。
つまり、暴走の原理をうまくコントロールさえすれば、通常よりも高い成果を上げることもできるというわけだ。限界突破で、普通に戦っても倒せない相手を倒すことだってできる。
怒りのスーパーモードとか、トランザムとか、そういうリスクと裏腹のパワーアップシステムを持っているロボやヒーローもそれなりにいるな。


ケイP「オラのバトルモード31859もそうだ」


まあ、最近は31859モードを常態にしているから、だいぶコントロールできるようになっているけどな。

ともあれ、暴走という言葉の定義に戻るが、昔は「荒くれ不良集団が、意図的にルール違反を起こすことを暴走」と言っていたそうだが、
その後、定義が拡大解釈されて、「機械や装置などが、操作を受け付けず、制御や操作不能状態になって、停止もさせられずに異常に動作すること」を指すことが多いな。
つまり、暴走族は意図的にやっていることだが、普段はマジメなのに何らかの暴走スイッチが入ってしまったために「自分を抑えられずにキレてしまい、何らかの事件を起こしてしまう」現象も取り沙汰されたわけで。

キレるという言葉をマスコミが使い始めたのが1990年代初頭と言われ、その後、2000年前後には「キレる17歳」という言葉が、酒鬼薔薇事件などのセンセーショナルな事件と相まって語られるようになった。
まあ、俺の実感では、キレるのは14歳前後という印象だが、最近は子供達の情緒育成も遅くなって、17歳あるいは20歳前後になってから、突然キレたりするものかもしれない。
なお、俺にとって、キレる17歳の代表格はこの男なんだけどな。
カミーユ・ビダン×ぴあ (ぴあMOOK)


ケイP『Zガンダムは1985年の作品だから、富野監督は15年も早く、キレる17歳を描いた、と持ち上げられることがあったみてえだな』


ああ、2005年に劇場版Zガンダムが公開された時期にも、よく言われていた。
機動戦士Ζガンダム -星を継ぐ者-機動戦士ΖガンダムII -恋人たち-機動戦士ΖガンダムIII -星の鼓動は愛-

まあ、劇場版のカミーユはTV版よりも大人しめなんだけどな。


カミーユの件はともかく、暴走ということについて、久々に座標軸分類で遊んでみようと思う。「自制力が強い、暴走しやすい」という軸と、「普段は有能、普段から無能」という軸で考えてみる。
すると、以下のように分類できるわけだ。

  1. 普段から有能で、自制力も強い
  2. 普段は有能だが、暴走しやすい
  3. 普段は無能だが、自制力は強い
  4. 普段から無能で、暴走しやすい

ケイP『有能か無能かは判断基準が難しいと思うが、マスターはどう考えているんだ?』


仕事の場なら評価基準が明確だけどな。決まった仕事を普通にこなせているなら、十分有能だと考える。
人間関係が大切な場だと、コミュニケーション能力も必要だろうし、掲示板みたいなところだと、「周りの常連参加者と折り合いを付けられる能力」と「場の活性化に寄与する、面白くてタメになる書き込み能力」のどちらが重宝されるかと言えば、管理人の立場だと前者だな。普通に周囲との関係を維持できてコンスタントに書き込んでくれているなら十分だ。その中で、時おりクリーンヒットを飛ばす書き込みがあったり、なるほどな、読みが深いな、と感じるものもある。書き込みを続けていくことで、だんだん文章もこなれてきたり、場へも溶け込んでくれたり、馴染みが出て来ることもあって、そこまで書いてくれる常連さんは大切にしたいね。
逆に、面白さを勘違いして、場の空気を乱すような書き込みを繰り返すような人間は、大人の企業内社会じゃ通用しない。周囲に合わせて、かつ力を示せば、頭角を現していくのが、いわゆる出世コースだ。一方で、周囲に合わせられない自分本位な人間は、自立心が強いなら、独立独歩で生きていけばいいし、それはそれで個性的でいいと考える。
稀に、周りにも合わせられない、一人で生きていく気概も持たない、ロクでもない大人ってのがいるのかもしれないが、まあ、そういうのが無能の代名詞かな、と今は思ったりもする。つまり、自分の生き方が何一つ定まっていない、ということだからな。

ともあれ、有能さの基準を「コミュニケーション能力と実務能力」の二点に絞ると、自分の仕事や日頃の人間関係において、如才なく立ち回って普通に災禍なく処理していけるのを有能、日常生活でも人間関係でもトラブルだらけで自分の居場所を維持できないようなのを無能、と考えればいいだろうか。


ケイP『すると、1番の「有能で自制力も強い」というのは、平凡な大人と考えればいいんだな。別に出世街道を歩まずとも、無難に世渡りしている一般的なサラリーマンとか公務員も含む』


ああ、しっかり自分の役割を自認して、特に問題も起こさない立派な社会人で、安心と信頼をもって付き合っていける人たちだ。


ケイP『2番は、有能なトラブルメーカー? 腕のいい職人だが、酒飲んで暴れる悪癖があるとか、そんな感じか?』


まあ、それもありだが、ドラマの若手主人公なんかにもありがちだな。活動的な主人公で、才能は当然あるわけだが、やたらと事件に巻き込まれたり、事件の原因になったりして、解決に奔走することになる。
1番の安定型スタイルの大人じゃ、ドラマとしては退屈な日常シーンを描くだけで面白くない。こういうのは頼れる上司、司令塔の役どころで、「暴走もするし、感情的に落ち込んだりもして不安定さが目立つが、ここぞというところでの勢いは誰にも負けない熱血漢」なんてのは、2番だろう。
自分の関わった問題を解決できて日常を取り戻す程度の有能さは示しつつも、どこか安定さに欠けるので、またトラブルに陥ってしまい、上司たちにイビられたり、助けられたりしながら、事件にしっかり向き合って、何とか責任を果たす。この頑張っている姿に、応援するファンがついたりするんだな。


ケイP『オラも翔花ママも、このカテゴリーに入るのかな』


ああ、そうだろうな。
だけど、これにも細かい差異はあって、翔花が暴走しているときはケイPが、ケイPが暴走しているときは翔花がお互いを制御できる関係が、パートナーとしては望ましい。
両者揃って暴走していたのでは、ギャグとして面白くはあっても、バトル物では相当にマズい状態だ。暴走している時は自制できていないってことだから、ブレーキがかからないバトルは単なる勢い付けだけでは済まない深刻な事態を招きかねん。
暴走役がいるなら、必ず抑え役が相方に欲しいところだ。そして、暴走役と抑え役の日常関係、力関係がうまく構築できているドラマは面白いし、暴走役が無能さを露呈して、抑え役の苦労がピークに達すると、人間関係が破綻するんだろう。


ケイP『3番は、無能だが自制力は強いって、よく分かんねえ。自制できているなら、それだけでも結構、有能じゃないか、と思うんだが』


我慢強い脇役ってところかな。
事件解決において頼りにはならないんだけど、特に問題行動を起こすわけでもない、空気のような存在。
あるいは事なかれ主義の上司で、主人公タイプの2番をイビる嫌味キャラも該当しそうだ。
自制力は強いってことは、組織の和を守るということが重視されて、保守的な人間なんだろうな。安定力は高いが、トラブルには弱いとか、自分ではトラブル処理が上手くできないのが分かっているから、主人公に無理難題を押し付けるとか、そういう意味で無能なんだろうな。


ケイP『そして、4番の無能なのに暴走するって、最低最悪じゃねえか』


つまり、ドラえもんのび太くんタイプかな。
トラブルに巻き込まれがちなのに、自分では解決できないので、ドラえもんに助けを求める。そして、事件が解決したと思ったら、今度は調子に乗って、自分が暴走してトラブルの主体者になった挙句、罰が当たって、痛い目に合い、周りには呆れられたりバカにされたりしながら、泣きわめくのがオチ。
まあ、このタイプはギャグマンガだったり、児童への啓蒙スタイルだったりすれば、愛嬌があっていいんだけどね。反省しないドジなトラブルメーカーは、フィクションのドジッ娘なら萌え要素にもなるけど、それは自分が被害者になったりせず、距離を置いて鑑賞できるから。
無能な人間は、基本、保守に走りがちなのが処世術というもので、3に行くのが普通。あるいは、失敗から学んで無能から有能にスキルアップできれば2になるんだけど、これは映画版ののび太くんかな。

2にも3にもならず、ずっと4のままってのは、本当に学習能力が欠如しているということだから。「自分では解決できないのに、すぐに調子に乗って、トラブルを引き起こす」ってのは、そういうことだろう?
お子さまなら未成熟を理由に(今後の成長を期待して)許されても、大の大人がこれじゃ、周りに迷惑だ。付き合うにも限度がある。


ケイP『それでも4番と付き合えるのは、どのタイプだ?』


1は抑え役として相性が良さそうで、意外と長続きしない。というのも、1が一方的に苦労を背負い込むばかりで、よほどの忍耐力が問われることになるから。
それでも両者の関係性を維持するためには、1が執事とか教師とか管理役を好んでする人間で、4が主人とか生徒とか、1が職業として4の世話をする役目を納得している必要がある。つまり、金というメリットで雇っていたり、あるいは「この方の世話をするのが自分の使命であり、生き甲斐である」といった感じに、1が4に惹かれて滅私奉公も辞さないなど、また別の人間関係構築の理由がいるわけだ。


現在の俺は、4番を毛嫌いしがちだ。目指すベクトルと逆だからな。
2番みたいに、有能な若手は応援するし、
3番みたいに、落ち着いた大人とも安心して話ができる。昔は3番みたいなキャラが好かなかったんだが、最近はそういうキャラの心情が分かるようになったのは、俺自身が成熟したからか、と自負している。
4番の無能な暴走くんにベタベタまとわりつかれるのは正直鬱陶しい。暑い夏の季節にあってはなおさらだ。


やっぱ、暑い夏の人間関係はクールでいたいと思ったり。
ホットなのは、フィクションの中だけで十分。

8月11日生まれの偉人たち


関心ある人をざっと調べて書いてみた。

吉川英治(小説家):三国志など
古関裕而(作曲家):モスラの歌六甲おろしなど
早坂暁(脚本家):必殺からくり人など
小林亜星(作曲家):科学忍者隊ガッチャマン主題歌など
スティーブ・ウォズニアック(コンピュータ・エンジニア):Apple、Apple2など
ハルク・ホーガン(プロレスラー)
孫正義(実業家):ソフトバンクの創業者
三上真司(ゲームデザイナー):バイオハザードなど
小林綾子(女優):おしんなど
葵せきな(作家):生徒会の一存など

ケイP『この中で一人だけ推すなら、マスターは誰を選ぶ?』


ジャンルが違うからなあ。ジャンルごとに1人。3人を選ばせてくれ。

小説家だと、吉川英治になるな。学生時代に読んだ三国志にはお世話になった。他は、宮本武蔵か。歴史文学の代表者で、俺にとっては司馬遼太郎と並ぶ二本柱になるな。三人目を挙げるなら、井上靖といったところか。
近年は、大水滸伝北方謙三を推すが、学生時代とは違った形で、物語を楽しむというよりも、キャラの描写の仕方とか、作者の創作スタイルを意識した読み方になっているのは、実際の創作を経験した後だからかな。自分にないスタイルを学ぶとか、そういう教科書みたいな読書になっている。
当然、自分にないものだから、すぐには吸収しきれないだろうが、まあ、じっくりとキャラに反映できればいいかな、と。


作曲だと、亜星さんには、いろいろ影響を受けたな。
伊福部昭さんや、渡辺宙明さん、菊池俊輔さんの曲は、大体、耳にしたらすぐに判別できるんだけど、亜星さんの場合は、これが特徴だというところが、自分には分からなくて、え、この曲も亜星さん? ってなることが多い。
あまり自分のスタイルを固めずに、ジャンルごとに合わせて、器用にマルチに処理していける人なんだろうな。ガッチャマンとコンVでも全然違うし、そこに魔法使いサリーとか、ドロロンえん魔くんとか、ターンAターンとか加えても、この人ならではの曲の特徴とか、俺には分からない。ヴァリエーションが豊かすぎるでしょ、と。
日立の「この木なんの木」とか、裸の大将の「野に咲く花のように」とか、「ピンポンパン体操」なんかもこの人で、とにかく、いろいろやってるんだなあ、としか言いようがない。
役者としても、寺内貫太郎で有名だし、サンバルカンのバルパンサーの父親役として、戦闘員相手に暴れるシーンも印象的だ。
あとは、クイズ番組の「ヒントでピント」の男性軍リーダーとして、博識ぶりを披露したのも印象的。自分にとってのクイズ王は、この人か、「クイズダービー」のはらたいらさんって感じだな。
この人のマルチタレントぶりは、下記のオフィシャルサイトでも分かるので、興味があればどうぞ。

http://www.remus.dti.ne.jp/~astro/asei/index.html


そして、デジタル系だと、スティーブ・ウォズニアックの名前を挙げられなければ、モグリじゃないかな。ジョブズの相方として、天才技術者としての名声も高い。ジョブズの方は技術者としてより、商業センスとかデザイン、宣伝活動での天才性が評価されることも多く、エンジニアとしてはウォズニアックのスキルが明らかに上なんだけど、それを売り込むジョブズの先見性がなければ、ウォズニアックも世に出ることのない一介の技術者で終わった可能性もある。
この辺は、技術的な専門家タイプの天才と、その技術の凄さを見抜いて売り出すアクティブでマルチな天才の両輪があってこそ、世の中を変える物を生み出せる、と結果論的に語ってみるわけで。

まあ、俺は技術者ではないので、ジョブズやウォズニアックの天才性は、本で読んだ知識しかない後付けだと語っておく。
他人のことを、天才という陳腐な言葉でしか語れないのは、その人間のことが本当に分かっていない証拠だと思うし。

天才=ジーニアスと言えば、聞こえはいいが、その成功の陰に隠れた努力とか、葛藤とか、技術を世に出すまでの苦労とか、逆に好機に恵まれたときの運を手につかむアクティブ精神とか、そういうところからあれこれ学べたらいいな、って思う。
単なる憧れじゃなくて、いろいろ自分の糧になる人生訓を引き出したりしながら、そういう逸話を面白おかしく語れたらなあ、なんて考えることも。


だから、このブログなんかで、偉人を語る際も、上から目線で大上段に構えた杓子定規な評価はしたくないし、俺自身、大した人間じゃないので、表現できるとすれば、「偉大な業績を成し遂げたり、自分を感じ入らせる作品を世に出した人たちへの、憧れと好奇心、その人たちのしてきたことへの探究心をどれだけ示し得るか」だと思っている。
つまらない人間が、上から目線で的外れな作品批評を行なっているのは、やはりつまらないと思うし。せめて、作品や創り手への憧れとか愛情とかこだわりを提示した上で、詳細に切り込むなり、自分の主観的な批判を展開するなりすべきもので、よく知りもしない対象に対して、いきなり否定的な言辞から入るネガティブな批評は読むに耐えないなあ、と感じることも。


ケイP『マスターの言いたいのはつまり、ドゴラという作品も見ていないのに、ドゴラについて否定的なスタンスで語るな、ということだな』


まあ、作品をろくに見ていないとか、その人の伝記とか作品について、読みもしないのに世間の噂だけで悪口を言う奴の評価は、まともに取り合うべきでないということだな。
まともな批評家なら、ろくに知りもしないことを語るのに慎重になるし、普通は批評する前にきちんと調べて、プラス面とマイナス面を分析してから、どちらを中心に書くか方針を定める。そういう前準備もせずに感情論だけで悪口を書くような奴は、たかが知れているってことだ。批評家として、無能の一言に尽きる。
ワイドショーばかり見ていて流されやすい人間の弁と割り切ってみれば、聞き流すべき戯言なんだが、そういう人間に意見を求められても、「バカか、お前は。そんなつまらん質問を俺にするな」と返さざるを得ないわけで。


ケイP『マスターも、相当ストレスを溜め込んでいたみたいだな。ネガティブオーラが目に見えて、噴出しているぜ』


ああ、済まないな。
建設的に生きる、それがビルドから再確認した信念なんだ。
よし、気持ちと見出しを切り替えて、建設的、創造的になるぞ。憧れの偉人たちのようにな。

第3のケイPとハート


NOVA「最後に、ケイPに朗報がある。お前にも、とうとうマーク3ができるようになった」

ケイP『おらに新型だと? もしや、翔花ママがまた分裂したのか?』

NOVA「いや、そうじゃないんだが。実は、この度、メガネンジャー第1部完結を迎えて、それぞれのキャラの今後を考えてみたわけだ。もちろん、それぞれの世界に帰るなり、新たな世界で若い戦士の力になるなり、いろいろな未来があるが、その中でロイミュードの3人はお前のボディを使っているだろう? 彼らのために、ケイPマーク3(ロイミュードボディ専用)を、ドクター・ウルシェードと共同開発することにしたんだ」

ケイP『そういうことか。つまり、ケイPマーク3が仮面ライダーブレンになり、メガネグリーンになるってことだな。おらは解放されて、これまで通り、翔花ママのアシモンとして日常編での生活を続けると。安心したぜ、てっきりこのままずっとロイミュードのボディとして乗っ取られたままだと思っていたから』

NOVA「あと、これはハートたちには内緒なんだが、先日見たジオウ初の戦いにおいて、ハートの偽物が観測された」

ケイP『え? ハートの偽物ってどういうことだよ』

NOVA「うむ。ビルドの桐生戦兎がホワイトパネルの力で、異世界に転移したんだが、そこでは歴代ライダーがライバルと戦っていたんだな。ハートはドライブと戦っていたんだが、そこに新ライダーのジオウが出現して、ライダーもその相手もまとめて瞬殺するという暴れっぷりを示して、戦兎を驚かせるんだ。つまり、異世界のハートがドライブと戦って、ジオウに倒される姿が公式で発表された」

ケイP『だがよ、ハートはドライブと和解し、自身も仮面ライダーになったんだろう? 今さらドライブと戦っているなんて、あり得ないじゃねえか』

NOVA「そう思うだろう? 本来なら、公式映像で登場したハートが本物で、我々と一緒にいるメガネンジャーの一員であるハートが偽物だと考えるのが筋なんだが、シチュエーションから考えると、ジオウ世界のハートの方がいろいろあり得ない描写のされ方なので、今のところは映画での姿が偽物で、我々のハートこそ本物と暫定的に考えておくことにする。まあ、ジオウ本編でドライブの時代が登場するなら、ハートやブレン、メディックが登場してくれる可能性もあるだろうが、その場合、またつじつま合わせがややこしくなりそうだなあ、と思っている」

ケイP『とにかく、公式がどうなるか知らねえが、オラにとって、今いるハートやブレン、メディックこそ本物だと考えるようにするぜ。そして、もしも公式にハートが出たら、こっちのハートと戦わせて、真のハートがどっちか決着をつけるってのも面白いな』

NOVA「まあ、多元宇宙の物語がいろいろ広がると、怪人のスーツなんかも元の物語から切り離された再生怪人として扱われがちなので、本編でドラマチックな最期を迎えたのに、映画でザコ怪人の一体として扱われて、悲しい想いをすることもある。そういう時は、偽物扱いと見なすのがいいんじゃないか、と思っているがな」

ケイP『ああ。本物のハートは、ブレンやメディックと一緒にケイPマーク3のボディで新たなヒーロー生活を満喫してもらおう。それこそが妄想ながら理想的な王道ってことで』(完)