花粉症ガール外伝・コンパーニュ記

会話リプレイ形式の「精霊少女や仲間たちの趣味雑談ブログ」。お題はTRPGを中心に特撮・怪獣ネタ成分が濃厚。現在は、ソード・ワールドのミストグレイヴ妄想リプレイ「魔神ハンター」を終了に向けつつ寄り道迷走気味。

米英日のRPG草創期の話(混沌の渦前後)

D&DとRPG黎明期の話

 

リモートNOVA『D&D50周年だが、最近はFFゲームブックをやりながら、イギリスのゲーム事情について考えることが増えた。とりわけ、FFコレクション3の付録冊子の「リビングストンとゲームズワークショップ」でイギリスRPG界の黎明期についての解像度が上がったのが大きい』

ヒノキ「イギリスはアメリカと同じ英語文化圏じゃから、日本と違って言葉の壁はほぼないはず。アメリカで流行したものが、イギリスに入って来るのにそう時間は掛からんじゃろう?」

NOVA『俺も長年そう思って来ました。しかし、70年代から80年代の文化が海を渡る物理障壁は、言葉の問題以外に大きいことが分かったわけですな。今のインターネットで情報が短時間で海を越えて伝わる時代と違って、昭和の文化伝達のタイムラグはそれなりに長かったわけです。たとえアメリカとイギリスの近い間柄であっても』

ヒノキ「で、それと錬金術の話にどうつながるんじゃ?」

NOVA『今回は錬金術テーマじゃなくて、RPGの歴史の話です。まず、ヒノキ姐さんは世界で初めてRPGという言葉を用いたゲームが何か知っていますか?』

ヒノキ「そんなの常識じゃろう? 世界初のRPG、D&Dに決まっておる」

NOVA『実はT&Tということが最近の研究で明らかになったようです』

ヒノキ「何と。D&DよりもT&Tの方が先にRPGという言葉を使ったじゃと?」

NOVA『ついでに、DM(ダンジョンマスター)という用語を、もっと一般的なGMゲームマスター)という用語に置き換えた元祖もT&Tですね。以下はアメリカの70年代の主だったRPG史年表です』

 

・1974:オリジナルD&D(TSR社)誕生

・1975:T&T(フライングバッファロー社)誕生

・1977:トラベラー(GDW社)誕生

    アドバンストD&Dへの展開スタート

    (コアルールは77〜79年に順次発表)

・1978:ルーンクエスト(ケイオシアム社)誕生

 

NOVA『世界にRPGがD&Dしか存在しなかったなら、RPGというジャンル名は必要ないわけです。D&Dに続く世界第2のD&D亜流ゲームであったT&T(トンネルズ&トロールズ)がサポート雑誌上で「D&Dに似た、進行役のマスターと、各自のキャラクターをプレイして冒険するプレイヤー複数の新しい形式のゲームに、RPGロールプレイングゲーム)というジャンル名を新規に当てはめて、その後、他の会社も追随して定着した」らしいです』

ヒノキ「ああ、第1作の『秘密戦隊ゴレンジャー』しか存在しなかったら戦隊シリーズというジャンル名が成立しないのと同じか」

NOVA『戦隊シリーズという呼称については、ジャッカーとバトルフィーバーは戦隊というワードを使っていなくて、現在でいう4作めの「電子戦隊デンジマン」から続く5作めの「太陽戦隊サンバルカン」、6作めの「大戦隊ゴーグルV」にかけてシリーズ呼称が定着していく流れがありますね。その過程にも紆余曲折あったわけですし、他社の「恐竜戦隊コセイドン」や「円盤大戦争バンキッド」、同じ東映だけど原作者が異なる「忍者キャプター」なんかは別シリーズながら、とりわけキャプターが混同されて扱われる時代もあったわけです』

ヒノキ「2作め以降、雨後の筍のように似たような亜流作品が作られて行って、初めてジャンル名が成立するということじゃな」

NOVA『面白いのはT&Tの成立背景ですね。一時期はD&Dのパクリゲーと呼ばれることもありましたが、作者のケン・St・アンドレは、元のD&Dの噂だけ聞いて、実物を持っていなかった(まだD&Dが少数生産で、市場に商品が出回っていなくて入手できなかった)ので、噂を元に自分でD&Dの要素を組み入れた自己流ゲームを作った。だから、アイデアの流用ではあっても、コピーではなくて、システム的にも斬新な要素がいくつもあって、いろいろとD&D以上に先進的とも言えたわけです』

ヒノキ「20面体などの多面体ダイスをいろいろ使うD&Dに比べて、6面体ダイスだけでプレイできるとっつき易さがT&Tの個性じゃのう」

NOVA『D&Dは武器の性能の違いを振るダイスの種類で表していましたが(短刀は4面、メイスは6面、長剣は8面)、T&Tは6面ダイスの数で表すなど、システムの違いを比較するのが楽しいです。まあ、今は展開が止まっていますが』

ヒノキ「出版元のフライングバッファロー社の社長(リック・ルーミス)が亡くなって、版権管理がややこしくなっておるらしいのう。メインデザイナーのケンも今はT&Tを扱えず、代わりにスピンオフ的に切り分けられたサプリメント『モンスター!モンスター!』で新規展開を試みているらしい」

NOVA『そっちはFT書房さんが翻訳出版権を確保して、この夏から新展開するみたいですね。これまではSNEとFT書房が協力してT&T8版(およびT&Tマガジンから発展継承されたウォーロックマガジン)をプッシュして来ましたが、雑誌がGMウォーロックになってから両社のつながりも薄れてきたみたいですし』

ヒノキ「で、新兄さんは去年からFT書房の追っかけも始めるようになった、と」

NOVA『ここからですな』

 

FFゲームブックからT&T、そして混沌の渦

 

NOVA『そして、日本のTRPG文化の発展史を考えると、もちろんD&Dは大事なんですが、それに負けず劣らず、T&Tも超重要な流れに位置するわけです。以下は日本の主だったTRPGの展開史年表です(80年代)』

 

・1983:エンタープライズツクダホビー)発売

    クラッシャージョウツクダホビー)発売

    スペースコブラ・最終兵器(バンダイ)発売

1984:ローズtoロード(ツクダホビー)誕生

    トラベラー(ホビージャパン)邦訳

    FF1作『火吹山の魔法使い』(社会思想社)邦訳

・1985:D&Dベーシックルール(新和)邦訳

    『ソーサリー』シリーズ(東京創元社)邦訳

     ファイティング・ファンタジーRPG邦訳

・1986:D&Dエキスパートルール邦訳

    D&Dリプレイ『ロードス島戦記』雑誌連載開始

    クトゥルフの呼び声ホビージャパン)邦訳

    ※ドラゴンクエストエニックス)発売

・1987:T&T(社会思想社)邦訳

    指輪物語RPGホビージャパン)邦訳

    小説『ドラゴンランス戦記』(富士見書房)邦訳

    ※ファイナルファンタジースクウェア)発売

・1988:D&Dコンパニオンルール邦訳

    ルーンクエストホビージャパン)邦訳

    ストームブリンガーホビージャパン)邦訳

    混沌の渦(社会思想社)邦訳

    ウィザードリィRPGアスキー)誕生

    WARPS(ツクダホビー)誕生

    ナイトメアハンター(翔企画)誕生

    ファンタズムアドベンチャー大日本絵画)誕生

・1989:ソード・ワールド富士見書房)誕生

    D&Dマスタールール邦訳

    小説『ロードス島戦記』(角川書店)発売

    RPGムック『ロードス島戦記コンパニオン』発売

    ビヨンド・ローズtoロード(遊演体)発売

 

NOVA『83年に発売されたスタートレックの「エンタープライズ」とか、アニメの「クラッシャージョウ」「スペースコブラ」が日本初のRPGということになるのでしょうが、いずれも原作付きキャラクターゲームの方向性で、自分でキャラを自由に作成するシステムでもなく、ただゲームマスターと判定システムとシナリオという形式でRPGの紹介を行なった実験作って感じです。サプリメントによる拡張性にも乏しくて、ちょっと変わったゲームって感じの受け止められ方でした。

『同時にツクダホビーから「スタークエスト」という作品も出ていて、そちらは本格的に宇宙SF RPGを志向していたそうですが、あまりにも時期尚早で余程のマニアしか注目しなかった。俺もタイトルしか知らないし。で、ファンタジーより先に宇宙を舞台にしたSFが日本のRPGの題材に選ばれたのは、当時の日本に中世ヨーロッパ風の剣と魔法のファンタジーの伝統が受け手側にほとんどなかったから。ゆえに、D&Dより先に「トラベラー」が84年に上陸したのですな。

『一方、日本初の国産ファンタジーRPGは「ローズtoロード」で、この作品とゲームブックの「火吹山の魔法使い」、そしてアニメの「聖戦士ダンバイン」(1983)が初期の異世界ファンタジーのイメージを確立していく流れです。まあ、それ以前に、アニメの「燃えろアーサー」(1979)やギリシャ神話を題材にした冒険映画や、ハヤカワの翻訳ファンタジー(英雄コナンなど)、それに栗本薫の小説「グインサーガ」などで原体験を得ていた人もそれなりにいたでしょうが』

ヒノキ「やはり、下地ができていなければ、一気に育って花開くこともないからのう」

NOVA『ダンジョン探索というテーマも、「インディー・ジョーンズ」の映画が参考にできたし、英雄コナンもシュワルツェネッガーの映画でマッチョな戦士像がイメージできた。ファンタジーRPGの楽しみ方を伝えるに際しても、「剣と魔法」の世界観と「地下迷宮で宝を探す」という物語構造が浸透していなければ、難しいわけですよ』

ヒノキ「それを一般化させた功績は、『火吹山の魔法使い』を初めとするゲームブックと、『ウィザードリィ』や『ウルティマ』などから発展して、『ドルアーガの塔』や『ハイドライド』などのアクションRPGを経て、『ドラゴンクエスト』および『ファイナルファンタジー』に流れるコンピューターRPGのブームだった、と」

NOVA『当時のD&Dの解説は、ゲームブックの後書きか、ドラクエの元になったウィザードリィウルティマの原型のボードゲーム(ボードは使わずに会話で行う)ってコンピューター雑誌に載る形でした』

ヒノキ「それが80年代の半ば以降じゃと。90年代からその先も見たいのじゃ」

NOVA『数が膨大になるので、今回は却下です。とりあえず、ここで大事なのは、日本でTRPGが普及するのに原点のD&Dも大事ですが、84年末の「火吹山の魔法使い」から始まるゲームブックブームの影響の大きさですね。ボックスタイプのRPGが5000円近くする中で、500円ほどで買えるゲームブックが小学生の月々のお小遣いでも買えるのは、非常に若年層への広がりを見せたわけですな。また、ファミコンゲームの攻略本ブームも流行の後押しをしました。ゲームの本は売れるという実績で、ゲームが玩具店だけの取扱品ではなく、本屋で扱える商品として認知されていった』

ヒノキ「そんな時期に、文庫RPGのT&Tが登場したのじゃな」

NOVA『D&Dは高くて買えないけど、T&Tならゲームブックと同じような感覚で買える。しかも、ゲームブックと同じようなシステム(というかゲームブックの先祖に当たる)のソロアドベンチャーシナリオがどんどん出てきて、キャラ育成ができる。その延長に「ソード・ワールド」もあったわけですな』

ヒノキ「ゲームブックのブームがあったから、文庫RPGの時代が来て、書籍スタイルのルールブックがD&Dを駆逐するようになった?」

NOVA『日本は、D&DとゲームブックコンピューターRPGのブームが80年代の半ばごろに一気に流れて来て、その中でD&Dはファンタジーの背景設定資料集としては有用でも、システムとしては10年を経て古くなっていたのもあり、そこから日本人が扱いやすいシステムを模索した結果が、20面体よりも6面体、または%ロールの方が分かりやすく受け入れられたとも思います』

ヒノキ「で、『混沌の渦』はそういうRPG業界の中で、どういう位置付けだったのじゃ?」

NOVA『88年という発売タイミングは、ルーンクエストストームブリンガーの邦訳と同じ年に当たりますね。そして「混沌の渦」はそれらと同じ%ロールを用いる点で、それらの土台にあるベーシックRPGからスキルを抜いた簡略版という位置付けになります。とりわけ、ルーンクエストの影響が強く見られますな』

ヒノキ「同じ乞食ゲーのストームブリンガーじゃなくてか?」

NOVA『乞食の話は、もう終わったので(苦笑)。とりあえず、ベーシックRPGの話に移りますか』

 

ベーシックRPGとは?

 

NOVA『1978年にアメリカで「ルーンクエスト」が誕生しました。背景世界グローランサを舞台にした同作は、初の宇宙SF RPGの「トラベラー」と並んで、第2世代RPGと呼ばれています』

ヒノキ「第1世代はD&Dじゃな。何が違うのじゃ?」

NOVA『D&Dは結局のところ、地下迷宮(ダンジョン)に入ってモンスターを退治して、お宝を回収して、キャラを強くするゲームだったんですね。そこに探索できる舞台として、迷宮の外の広野、森や山岳、海洋など広げて行ったのだけど、背景世界についての公式資料集なんてものは80年代まであまり出さなかった。古今東西のモンスターデータや、神話の神様のデータなんかは素材として用意するけど、それらをどう組み合わせるかはマスターとプレイヤーの自由、好きにしていいよってスタイルだった、と』

ヒノキ「食材だけ与えて、ごった煮の鍋物にしてもいいし、ギリシャ風とか、中華風とか、素材ごとの風味を活かすのもありだし、どんな器に盛りつけるのも自由って感じじゃな」

NOVA『でも、トラベラーやルーンクエストは、それぞれの世界の歴史年表や重要人物、探索すべき場所まで物語の舞台を設定していくスタイルをとった。料理で言うなら、卵とレタスをこういう風に盛りつけて、パンに挟むと美味しいサンドイッチの出来上がりだ。まあ、ベーコンを入れてもいいけどね。でも、サンドイッチの食材にふさわしくないものは提供しないから、ルーンクエストにレーザー銃は混ぜないでね。文明レベルが足りてないのは明らかだから』

ヒノキ「って、ちょっと待て。すると、D&Dにはレーザー銃が登場するのか?」

NOVA『ええ。5版のDMガイドにはきちんとデータが載ってますよ。まあ、クラシックD&Dの邦訳分にはないですけど、D&Dのシステムを利用してSF風味の味付けをしたゲームだってありましたし、だからこそ初期のウルティマみたいな「ファンタジーだと思ったら宇宙に飛び出しちゃうようなゲーム」も許容範囲だったわけです。で、D&D流の多元宇宙観が一つのワールド設定を構築したのが、後のスペルジャマーだったり、プレーンスケープだったりするわけですが、そういう何でもあり的な大雑把ぶりと比べて、トラベラーやルーンクエストの背景世界は真面目に緻密だったのですな。そこがまあウケたのが第2世代で、参考資料としてこういう記事も』

NOVA『で、おそらく世界初の汎用RPGシステムとして、ルーンクエストから世界観のグローランサなどの部分を削ぎ落としたのが、ベーシックRPGですな。手持ちの資料では、こういう流れです(青字が日本で邦訳発売されたもの)』

 

・1978:ルーンクエスト初版

・1979:ルーンクエスト2版

・1980:ベーシックRPG

・1981:ストームブリンガー初版、クトゥルフの呼び声初版

・1983:クトゥルフの呼び声2版

1984ルーンクエスト3版(ケイオシアムからアバロンヒル社に版権移行)

・1985:ストームブリンガー2版

・1986:ホークムーン(ストームブリンガーと同じエターナル・チャンピオン物。未訳)

    クトゥルフの呼び声3版(英ゲームズワークショップ社がライセンス販売)

・1987:ストームブリンガー3版(英ゲームズワークショップ社がライセンス販売)

・1989:クトゥルフの呼び声4版(再びケイオシアム社が販売)

・1990:ストームブリンガー4版(再びケイオシアム社が販売)

・1992:ルーンクエスト90sホビージャパン、日本独自の編集簡略版)

    クトゥルフの呼び声5版(邦訳は1993年、ホビージャパン

・1993:エルリックストームブリンガーの系譜。邦訳は1995年、ホビージャパン

・2001:コール・オブ・クトゥルフd20(邦訳は2003年、新紀元社

    ストームブリンガー5版(邦訳は2006年、エンターブレイン

・2004:クトゥルフ神話TRPG6版(邦訳は2004年、エンターブレイン

・2014:新クトゥルフ神話TRPG7版(邦訳は2019年、KADOKAWA

・2018:ルーンクエスト7版(ケイオシアム社にとっての4版、2023年末に日本語訳がPDFで展開スタートしたところ)

 

NOVA『ルーンクエストの版については、グローランサ世界の版権を持ってた故グレッグ・スタフォード氏が別会社で別システムの「ヒーローウォーズ」を発表したり、別会社やファンが別ルールの「ルーンクエスト」を出したり、版権が非常にややこしいことになっていたみたいだけど、ようやく正式なケイオシアム社の最新版が日本語展開もスタートする形です。日本では約20年ぶりの復活で、今後の展開が気になるところだけど、今回の記事の本筋ではない』

ヒノキ「とりあえず、ベーシックRPGクトゥルフ(CoC)のシステムと思っておけば、若いファンには通りがいいということじゃな」

NOVA『他にも、挙げていない未訳作品はいろいろあるけど、「ルーンクエスト」「クトゥルフ」「ストームブリンガー」が日本における3大ベーシックRPG採用システムということで。で、ここでの注目は86年と87年に、クトゥルフストームブリンガーが一時的にイギリスのゲームズワークショップ社に版権を身売りしていたってことですな』

ヒノキ「ゲームズワークショップと言えば、『ウォーハンマー』を展開しているイギリス最大のTRPG会社じゃな。FFシリーズのジャクソン&リビングストンが立ち上げたという」

 

ゲームズワークショップとイギリスTRPG業界の黎明期

 

NOVA『ここで、ゲームズワークショップ社(以降GW社と表記)の話に移ります。1975年の創業開始ということで、来年が50周年。イギリスではトップレベルの老舗RPG&ミニチュアゲーム企業ということになるようですね。日本では、ジャクソン&リビングストンと言えば、FFゲームブックの作者というイメージが強いのですが、企業主としてのリビングストンの評価は最近まであまり為されていなかったと思うのですよ。この本で解像度が上がった感じなので、翻訳が楽しみなのですが』

ヒノキ「何と。ミニチュアゲームでは、世界でもトップレベルのシェアを誇ると言うのか!?」

NOVA『ウォーハンマーのミニチュア専門店は日本にもありますし、ロード・オブ・ザ・リング関連のミニチュアも凄いそうですね。俺はレゴのイメージしか持ってなかったですけど、レゴはレゴでデンマークに本社があるのか。へえ』

レゴ ロード・オブ・ザ・リング モリア鉱山 9473 Hobbit The Mines of Moria 並行輸入

レゴ (R)ロード・オブ・ザ・リング ブラックゲートの戦い 79007

 

ヒノキ「レゴじゃなくて、ゲームズワークショップの商品を挙げぬか」

NOVA『いや、未塗装フィギュアって地味じゃないですか?』

NOVA『まあ、ミニチュアゲームは俺の趣味じゃないし、それはそれでハマると大変だなあ、と思う。それよりもRPGゲームブックですよ。とにかく、1975年に設立されたGW社は、アメリカで生まれたばかりのD&Dにも注目し、輸入販売を行うようになり、翌年の76〜78年までは独占販売権を獲得したわけですな』

ヒノキ「つまり、かつての日本の新和や、ホビージャパン社みたいにD&Dの輸入販売会社となったわけじゃな」

NOVA『アメリカもイギリスも同じ英語圏だから、翻訳の手間は掛かりませんが、それでもアメリカからD&D製品を輸入して、販売するという仕事を行なっていたのが、ジャクソンとリビングストン。さらに雑誌でD&Dをプッシュするという仕事で、イギリスにRPGを伝播する広告塔になって行ったわけです』

ヒノキ「たとえ言葉は同じでも、国が違えば、大掛かりに販売ルートを確保できぬと流行るものも流行らん。単に作家なのではなく、実は販路を築く経営者としての才覚がすごかったわけか」

NOVA『さらに、1977年にシタデル・ミニチュア社を設立したのもリビングストン。やはり、模型フィギュア絡みで、イギリスのホビージャパンに相当する立ち位置なわけですな』

ヒノキ「ホビージャパンはいつからあったのじゃ?」

NOVA『1969年ですね。当初はミニカーと模型を扱って、70年代のミリタリーブームに上手く乗って、80年代のガンプラブームにもつながって行く。一方で、81年にウォーシミュレーションゲームの雑誌「タクテクス」を創刊し、そこからゲーム業界にも事業を広げて行く。まあ、日本の話はさておき、イギリスではGW社がD&Dの販路を開拓して行くとともに、79年に大きなターニングポイントを迎えるわけですな』

ヒノキ「D&Dの生みの親のゲイリー・ガイギャックス氏が、GW社を合併して、イギリスTSR社にしたいと申し入れたんじゃな」

NOVA『だが断る、とリビングストンさんは悩んだ末に決断した、と。理由はいろいろでしょうが、TSRに組み込まれると、D&D以外のRPG、「トラベラー」や「ルーンクエスト」などの紹介がしにくくなるとの判断もあったのかもしれない。で、GW社はD&Dを外からサポートしつつ、独自のRPGを作る戦略を練り始める』

ヒノキ「それが『ウォーハンマー』じゃな」

NOVA『ウォーハンマーは83年にフィギュア戦闘ゲームとして売り出し、86年にTRPGに発展。その後、87年に舞台を未来に移した『ウォーハンマー40000』にミニチュアバトルの背景を移して行ったわけです』

ウォーハンマー40000インぺリウム(63) 2024年 4/3 号 [雑誌]

NOVA『で、ウォーハンマーの話はまた後の記事で展開するとして、ゲームブックの展開ですな。そちらはGW社のD&D紹介とその人気を見た大手出版社ペンギンブックスの編集者が、79年に書籍スタイルのD&D紹介本を出せないかと打診してきたとのこと。で、いろいろ企画を立てたものの、ゲームに理解のなかった編集長にボツにされて、児童部門のパフィンブックスなら出せるかも、と紆余曲折の末にようやく完成したのがFF第1作の「火吹山の魔法使い」なんですが……』

ヒノキ「そこまでが安田解説書の受け売りじゃな」

NOVA『ええ。準備と執筆に3年かかったんですね。それぐらいゲームと本の間の壁が大きい時代だとも言えるし、メディアミックスの手法が未知数だった』

ヒノキ「玩具ゲーム業界と、出版業界の壁を破った画期的な商品が『火吹山の魔法使い』ということか」

NOVA『日本でも、ゲームブックRPGの入門ガイドという位置づけに置かれましたが、イギリスもそうだったんですな。タイミング的に、イギリスが先に「ゲームの本が売れる」という実績を示してくれたので、日本もそれをモデルケースにした流れが一つ』

ヒノキ「一方、その間にアメリカはゲーム小説という方向性を打ち出したわけじゃな」

NOVA『その間というか、イギリスから見れば後ですけどね。1984年にAD&Dで「ドラゴンランス」が出版されました。ゲーム用のシナリオと、そのプレイに基づいた小説というメディアミックス展開です。これが当たったことで、物語とゲームの関連性が明確になって、日本ではその辺のストーリーゲームという方向性を最初から打ち出した。まあ、版権取得と翻訳作業というタイムラグで2〜3年の後追いになりましたが』

ヒノキ「イギリスの方では、82年に『火吹山』がブームになって、FFシリーズがその後、10年以上も続く人気シリーズになっていく。一方、本家のペンギンブックスは児童書のパフィンブックスでの成功を見て、前言を翻して大人向きレーベルでも何かができないかという話で、ジャクソンの『ソーサリー』4巻が誕生した、という流れじゃな」

NOVA『ソーサリーは83〜85年ですね。それと並行するように、ジャクソンは改めてRPG入門書としての「ファイティング・ファンタジーRPG」を84年にペンギンブックスで発表するわけですが、同じ84年に「混沌の渦」も同じペンギンブックスで出版されました』

ヒノキ「ああ、ファイティング・ファンタジーと同年じゃったか。てっきり後年とばかり」

NOVA『翻訳年がFFRPGと3年ズレましたからね。作者のアレクサンダー・スコットさんの経歴がよく分からないので、どういう経緯でこういう歴史RPGの題材を選んだのかも分かりませんが、同じタイミングで「ルーンクエスト」3版が出ており、そちらは異世界ファンタジーグローランサよりも、ローマ時代やバイキングといった歴史時代が遊べるファンタジーヨーロッパをプッシュしていた。何か84年にはヨーロッパの歴史をフィーチャーするブームでもあったのだろうか。クラシックD&Dのコンパニオンルールもそんな面があったし』

ヒノキ「RPGもD&D誕生10周年を迎え、荒唐無稽な子どもの遊びから、もっと格調の高い歴史の勉強ができる教材としてブラッシュアップが図られた、とか?」

NOVA『TSRのゲイリーさんを追い出した女社長さんがそういう方針だったらしいが、ファンはやはりグローランサを望んだし、「混沌の渦」のイギリスでの誕生背景がよく分からん。で、日本では88年に翻訳された背景はよく分かる』

ヒノキ「どうしてじゃ?」

NOVA『T&Tの翌年だし、シンプルかつ背景世界を整えれば、いろいろ応用の利く簡便なシステムですからね。現にウォーロック誌(24号)では、「時代劇の渦」というヴァリエーションルールが独自に作られて、暴れん坊将軍や必殺仕事人の中村主水のゲームデータが掲載されていたし』

ヒノキ「そりゃ、新兄さんがハマりそうじゃのう」

NOVA『たぶん、日本で初めて作られた時代劇RPGだと思います。まあ、ゲームブックの「サムライの剣」はその前年の87年に訳されていたわけですが』

ヒノキ「タイミング的に、ストームブリンガールーンクエストと同じ年に登場したことで、簡易型ベーシックRPGとしての受け入れられ方もしたのであろうな」

NOVA『もう少し後だと、ただの劣化コピー的なシステムと見なされたかもしれませんが、同じタイミングなので(少し早い)、より本格的なシステムのための橋渡し的な意味合いも持てた。そして、この汎用システムになり得るアレンジし易さは、後に90年代にGURPSを展開するうえでの土台作りにもなり得たと思えば、T&T→「混沌の渦」→ウォーハンマーもしくはGURPSという導線がしっかりつながっているという。ロードス→ソード・ワールドクリスタニアという導線がつながっているのと同様に』

ヒノキ「日本では、文庫RPGの可能性を見るための叩き台の一つであると共に、汎用システムへの道を提示する素材でもあったのか」

NOVA『一つの基本システムに、背景世界をオプション的に売り出すことは、80年代頭にベーシックRPGが切り開いた道ですが、それをさらにGURPSが拡大し、ファイティング・ファンタジーゲームブックという形で展開し、90年代にはAD&DやTORGが多元世界ものというマルチバース的な盛り上げ方を示したりした後、21世紀のD20システムに流れる。その後は……FEARさんのスタンダードRPGシステムとかに通じますが、どうもシステム的に同じような作品が続くと、飽きられたのかもしれませんな。この辺の判断は難しいです』

ヒノキ「とりあえず、『混沌の渦』が簡易型ベーシックRPGの系譜に位置づけられるシステムというのは分かった。日本のRPGの主流が90年代のD&D失墜以降、T&Tの延長にある2D6システムのソード・ワールドに移り変わったのと同様、イギリスのRPGの主流がD&Dと距離を置いて、ベーシックRPGの延長線上にある(%ロールのウォーハンマー)というのも興味深い話じゃ」

NOVA『ゲームズワークショップが、80年代半ば過ぎにD&Dと対決するように、ウォーハンマーだけでなく、ベーシックRPGクトゥルフストームブリンガーのライセンス販売でケイオシアムとしっかり手を組んでいたわけですからね。80年代半ば過ぎは、TSR創始者のゲイリーさんを追い出して、ゲーマーに対して暴君的に迫害を加える傲慢企業方針を示していた時代でもありますから、リビングストンさんがTSR傘下に収まっていなくて良かった、という話にもなります』

 

ヒノキ「で、次はウォーハンマーの話じゃな」

NOVA『いえ、「混沌の渦」について、まだ語り足りていませんので、次はまだ「混沌の渦」の話を続けますよ。今回はあくまで時代背景編の総括ということで、次回はもう少し細かいシステムを掘り下げてみるつもり。何せ、今年は「混沌の渦」40周年記念ですから』

(当記事 完)