花粉症ガール外伝・コンパーニュ記

会話リプレイ形式の「精霊少女や仲間たちの趣味雑談ブログ」。お題はTRPGを中心に特撮・怪獣ネタ成分が濃厚。現在は、ソード・ワールドのミストグレイヴ妄想リプレイ「魔神ハンター」を終了に向けつつ寄り道迷走気味。

93年に至る前の日本のTRPG事情

TRPG以前の個人史

 

リモートNOVA『今回は、この話の続きをしようと思ったわけですが……』

ヒノキ「何じゃ? 久しぶりの記事なのに、あいさつもなく突然じゃのう」

 

リモートNOVA『では、あいさつを。ヒノキ姐さん、ご無沙汰です』

ヒノキ「一月ほど放置されて、寂しかったぞ」

NOVA『その間に、世間ではパリ・オリンピックと高校野球が終了し、ゲームブック「奈落の帝王」のリプレイ記事が終了し、スパロボDDが5周年を迎え、明日には仮面ライダーガッチャードが最終回を迎え、来週には台風10号が日本を襲撃し、パラリンピックが開幕予定など、いろいろと盛り上がっている状況ですな』

ヒノキ「ちょっと待て。どこかで見たようなパターンのあいさつではないか」

NOVA『まあ、先月末よりも、世の中の変化がいろいろですが、ついでに米不足云々の話もしますか?』

ヒノキ「前置きが長すぎるのは良くない。あいさつはそれぐらいにして、本題を頼む」

NOVA『今回の記事は、この話の続きでもあります』

ヒノキ「D&D50周年ということで、TRPGの歴史を振り返ろう、という趣旨じゃな」

NOVA『日本のTRPG史で語るなら、1983年からスタートということになって、アメリカよりも10年遅れになりますね。で、俺自身がTRPGを強く意識したのは1986年からとなりますが、それ以前のアナログゲームだと、ツクダのシミュレーションゲームに83年からハマってました』

ヒノキ「83年から……ということは、何じゃ?」

NOVA『最初に買ったのは、マクロスの「ドッグファイト」ですね』

NOVA『今にして思うと、15歳以上対象のゲームを12歳の時に買ってしまったわけですな、俺。おかげで、慣性の法則なるものを学校の理科で習う前にいろいろ調べることになった次第ですが、当時のお小遣い1000円を3ヶ月ほど貯めて、3000円でボードゲームを買っていた記憶があります』

ヒノキ「どうして、そんなにハマっていたのじゃ?」

NOVA『きっかけは、ケイブンシャの大百科シリーズで、イデオンの本がありまして』

NOVA『その中の記事に、ツクダのイデオンシミュレーションゲームがあって、それでシミュレーションゲームに興味を持っての流れです。マクロスドッグファイトを選んだのは、それが近所の玩具屋で売ってた最新の商品だったからですな。あと、イデオン他(4000円)より安かったのもある。まあ、安い理由は、紙製のユニット総数が少なかったからでしょう。マクロスガンダムイデオンに比べて、味方や敵機体の数が少なかったから。特に宇宙戦だと、デストロイドがなかったですし、敵もゼントラーディのリガードやグラージしかなかったと記憶』

ヒノキ「最初のマクロスは82年〜83年の作品じゃから、83年のゲームということは、まだ番組放送中に出たということじゃのう」

NOVA『ええ。陸戦を描いて、ユニットも増えた「シティファイト」が後から出て、そちらの方も買いました』

NOVA『中学時代は、こういうボードゲームに付き合ってくれた友人のY君がいたから、彼と2人でいろいろなシステムを購入できたのが楽しかったですね。で、ゲームの中にカタログが入っていたので、次は何を買おうという話もできましたし、その中にツクダのエンタープライズ(国産初期のスタートレックRPG)もあったりして、俺がRPGという言葉に出会ったのもたぶんそれが最初』

ヒノキ「言葉を知るのは早かったんじゃな」

NOVA『ええ。だけど、中身がよく分からないし、おまけに玩具屋で売ってるエンタープライズの箱を手にとっても、軽い。これがシミュレーションゲームだと、マップやユニット(コマ)、それにデータシートの分、重さがあるのに、RPGだと本当に中身がスカスカなんですね。だから、そっちを買う気にはなれなかった、と』

ヒノキ「つまり、新兄さんはRPG以前に、ツクダのシミュレーションゲームに先にハマって、アナログゲームの世界に参入した、と」

NOVA『シミュレーションという言葉は、「プラモ狂四郎」のドイツ軍マニアの蔵井からイメージできた分もありますね。友人のY君は、ツクダ以外にバンダイ派でもあって「ウルトラマン」や「モスラ対ゴジラ」のゲームを買って、遊ばせてくれました』

NOVA『日本ではRPG以前にウォーシミュレーションゲームの時代があって、1981年に専門誌の「タクテクス」誌が出版されて、それが当時のガンプラブームやゴジラ1984リバイバルブームと重なる中で、アナログゲーム界隈にも広がって行ったんだな、と思います』

ヒノキ「当時はファミコンが1983年登場で、家庭用デジタルゲームは黎明期みたいなものじゃから、先に複雑な数字計算を扱うゲームは、アナログ界隈で発展して行った、と」

 

個人的なシミュレーションゲーム事情

 

NOVA『それで、俺はミリタリーではなく、アニメロボットのファンですから、ツクダのガンダムイデオンに友人のY君と没入していた中学時代でもあります』

NOVA『ツクダのガンダム物では、地上戦メインの第1作「ジャブロー」と2作目の「フォートレス」(ア・バオア・クー)をY君が購入。ジャブローと同システムの宇宙編「ニュータイプ(ソロモン攻略戦)」と、その追加ルールで艦隊戦を追加した「ホワイトベース」を自分が購入する形で遊んだ』

NOVA『あと、イデオンね』

NOVA『う〜ん、他人様のブログでイデオン・リプレイを堪能しながら、40年前のシミュレーション・ゲームの思い出を蘇らせてみたり』

ヒノキ「80年代のアナログ・シミュレーション経験が、その後、10年経ってからスパロボファンになる契機じゃな」

NOVA『俺がツクダ系のゲームにハマっていた期間は、83〜84年だけとなりますね。85年は中3で受験勉強をまじめに頑張ってましたし、86年からの高校時代はゲームブックからTRPGに興味が切り替わりましたので』

ヒノキ「ガンダムイデオンマクロス以外の作品は、プレイしなかったのか?」

NOVA『ツクダからは、ザブングルダンバインエルガイム、Z、ZZ、ドラグナーや、レイズナーバイファムなど、いろいろ出てたんですがね。TV放送も見たり、見なかったりで、リアルタイムではそれほどハマってなくて、エルガイムの後半からZ、ZZで改めて追っかけ直したけど、毎週チェックするほどには至らず。やはり、この時期のリアルロボット物は90年代のスパロボの流れでハマり直したのでしょう』

ヒノキ「で、その80年代の半ばに、トラベラー、ローズtoロード、D&Dが登場して、TRPGの時代になる、と」

NOVA『俺は、最初のトラベラーやローズは買っていません。買ったのは続編のメガトラベラー(90年)と、ビヨンド・ローズ(89年)ですな。D&Dは85年に赤箱ベーシックルールが初邦訳されましたが、購入は青箱エキスパートとともに87年の年始。その前の86年に、文庫本のゲームブックから発展した「ファイティング・ファンタジー」が初購入のRPGということになります』

ヒノキ「D&Dを購入するきっかけは?」

NOVA『ゲームブックの後書きの文章で紹介されていたり、パソコンゲームの雑誌記事でも紹介されていたり、きっかけはいろいろですが、何よりも「ロードス島戦記」の誌上リプレイ記事が大きいですな。これでようやく会話RPGのイメージがつかめたとか、剣と魔法の世界とダンバインがつながったというか、それまではSFロボット、もしくは必殺などの時代劇、あるいはゴジラなどの怪獣ものという導線しかなくて、最初にトラベラーにハマらなかった理由が、同じSFでも巨大ロボが出ないから、というもの』

ヒノキ「つまり、新兄さんを惹きつけるジャンルの魅力に欠けていたのじゃな」

NOVA『剣と魔法のファンタジーに、出渕裕という特撮やアニメで馴染みあるイラストレーターとか、ドラゴンという怪獣風味のモンスター、そして時代劇のチャンバラアクションと冒険者のイメージのつながり、そして異世界の魔法のイメージ、あとコンピューターRPGウィザードリィやらハイドライドザナドゥといった情報がいろいろ入ってきて、80年代半ばに自分のイメージを一気に膨らませたわけですな。そして、翌87年にドラゴンランスとか、ファンタジー小説につながって来る』

ヒノキ「そうやって、ズブズブはまって行った、と」

NOVA『時系列順だと、ツクダのシミュレーションゲームゲームブック→ロードス→D&Dという段取りになりますな。それと、これはD&Dでマップを作る際に役立ったのが、マクロスドッグファイトに入っていた6角形のヘックスシート。やはり、シミュレーションゲームの経験で、ユニットのデータと戦闘ルール、それと戦闘での状況を設定したシナリオという概念が常識になっていたから、TRPGでのルールを理解しやすかったと思います』

ヒノキ「新兄さんのTRPGの入り口は、デジタルではなくて、アナログゲームということか」

NOVA『俺がデジタルゲームを楽しんだのは、大学に入ってスーパーファミコン(1990)が出る前年からですね。それ以前は、まあ、ゲームウォッチとかの経験はあっても、ファミコンを買ったのは89年だし、パソコンを買ったのも90年代だから、デジタル系には奥手だったわけで』

ヒノキ「サイコロを振って、紙に書き込むのが当たり前という感覚か」

NOVA『ゲームブックの最盛期(87年)にハマり込んだ人間でもありますね』

 

80年代後半のTRPG発展期

 

NOVA『ともあれ、日本のTRPGは、D&Dよりも先にトラベラーが邦訳されて、ファンタジーよりもSFゲームから開始されたわけですな。アナログ系はSFメイン、デジタル系は剣と魔法のファンタジーがメインだったわけですが、そこにゲームブックが改めて剣と魔法のファンタジー世界観を打ち出す中で、D&Dが邦訳されて、SFがやや下火になる』

ヒノキ「ファンタジーと言えば、ローズtoロードも重要な作品じゃろう」

NOVA『日本のTRPG史的には重要ですけど、世間一般ではメジャーとは言えませんよね。まあ、独特の幻想的世界観や魔法システム、そしてツクダのシミュレーションゲームからの導線をしっかり確保して、ホビージャパン、ツクダ、そして新和というゲーム界の古参体制を構築した意義はありますか』

ヒノキ「それとは別に出版系の参入を試みたのが、KADOKAWA系列であり、SNEじゃと」

NOVA『TRPGは、元々、ボードゲームと同じ玩具扱いだったのが、80年代に入って、ゲームブックやゲーム小説という方向に手を広げて出版物となると共に、当時どんどん発展が期待されるデジタルコンテンツの方にも広がって行くことから、クロスオーバー・マルチジャンルの旗手になって行ったわけですな』

ヒノキ「1986年の日本のTRPG業界では、ホビージャパンより『クトゥルフの呼び声』が初めて翻訳され、D&Dは青箱エキスパートルールが出たんじゃな。SFのトラベラー、ファンタジーのD&D、国産ファンタジーのローズtoロードに加えて、ホラーのクトゥルフというジャンルの棲み分けが行われた、と」

NOVA『クトゥルフは当時からホラーRPGの代表という立ち位置でしたが、1920年アメリカという時代背景が俺的にはピンと来ないと思ってました。ラブクラフトという作家のこともよく分かっていなくて、自分にとってのホラーのイメージは、やはりゴシック怪奇ホラーのドラキュラ、狼男、フランケンシュタインの怪物って感じでしたし、怪物と戦うゲームじゃないという世界観もツボじゃないなあ、というのが当時の印象ですね』

ヒノキ「しかし、今はTRPG界の覇権システムの一つじゃからのう」

NOVA『これは、後の版で「現代ホラーをできるシステム」として基盤が整えられたからでしょうね。SFやファンタジーに比べて、日常的なキャラが事件に関わり、上手く立ち回れば、名探偵的な調査や推理劇が展開できる。現代ホラーアクションとしてシナリオ運用するなら、非常に分かりやすいシステムなわけです。あるいは、学園ものもできますし。もちろん、基本システムとして、それができるようになったのは90年代以降の版ですし、現代アクションがTRPGの主流になったのも21世紀になってから、と言われています』

ヒノキ「現代アクションか。確かに、80年代のD&Dやトラベラーでは無理そうじゃのう」

NOVA『現代ホラーアクションを楽しむことのできるゲームは、88年の「ナイトメアハンター」が初めてだと思います。そして、同年にはツクダの「ワープス」、翌89年にはエポック社の「ルール・ザ・ワールド」が出て、現代ヒーローアクションRPGの方向性が生まれた形ですな』

ヒノキ「それらの3作は、日本のアニメが原作と聞くぞ」

NOVA『確かに、ナイトメアハンターの原型はドリームハンター麗夢ですな。版権もありますので、あくまで原案ということですが。より、一般的なホラー物として、扱いやすいシステムでした』

ヒノキ「日本は洋物RPGを追いかけながら、それでは再現できない物語ジャンルや世界観を表現するために、独自システムを生み出すに至った。それが88年の昭和末期か」

NOVA『元々、D&Dは70年代半ばの古いシステムですから、大きく3つの欠点を備えていました』

 

  1. キャラクターが死にやすい。
  2. キャラクターのヴァリエーションが少ない。
  3. 現代の日本の物語が再現しにくい。

 

ヒノキ「1はD&Dに限らず、トラベラーやクトゥルフだって死にやすいじゃろう」

NOVA『そうですな。しかし、トラベラーやクトゥルフは、キャラの育成が主体のゲームではなくて、D&Dが強力にレベルアップという要素を打ち出したゲームです。トラベラーでキャラが死んでから作り直しても、他の面々と比べて強さに差が付くことはありませんし、クトゥルフでもシナリオ達成後の成長はスキルが微々たるものですから、極端な強さの格差は生じません。しかし、D&Dではレベル3とレベル1の差は極端に大きいです』

ヒノキ「ああ。最初からのやり直しが非常に難儀なシステムということか」

NOVA『その辺のキャラの死をどう扱うかは、システムや作品世界によってまちまちですが、ファンタジー世界だと、神さまが復活させてくれるというのが無難ですな。それでも死なないための特殊ルールとして、HP0では死なずに気絶扱い(戦闘不能)で、HPがマイナス10になって初めて死ぬという選択ルールとか、システム的に救済策をあれこれ示すようにもなるわけですよ。進化したシステムほど、死ににくくできている、あるいは死んだ際の救済処置が明確化されているわけですな』

ヒノキ「で、日本のゲームはヒーローらしさを再現するために、ヒーローポイントを積極的に取り入れるようになった、ということじゃな」

NOVA『70年代のゲームは、キャラクターがゲームのコマ扱いですが、日本にTRPGが輸入される際に、ロールプレイやストーリー志向を強調されましたし、死んでからのやり直しとかリセットとかのコンピューターゲームでの洗礼もありますから、死んでゲームオーバーではつまらない。これがロボットだったら、修理費を払って修理するとか、新型機に乗り換えるとか、ゲームによってもいろいろですが、ヒーローは死なないとするシステムとか、3回までは死んでも大丈夫とか、死なないけど悪魔に魂を売ったり堕落を重ねたりして悪堕ちNPC化というドラマがあったり、死亡表というランダム救済ルールがあったり、いろいろなアイデアが生み出されたわけです』

ヒノキ「キャラの死から生まれるドラマもあるわけじゃのう」

 

NOVA『キャラのヴァリエーションの少なさは、クラシックD&Dが4つの職業と3つの種族の計7クラスしかなくて、育成にもどんな呪文を覚えるかを除けば、あまり広がりがない点ですね。これは、やはり、どんなスキルを覚えようとか、初期キャラのヴァリエーションが後のゲームほど増えて来るわけですが、やはりキャラ作成と育成の選択肢の少なさは、クラシックD&Dの大きな欠点と言えるでしょう』

ヒノキ「しかし、AD&Dや3版以降は、種族と職業の組み合わせをできるようにしたり、種族数や職業数を増やすことでヴァリエーションを広げた、と」

NOVA『まあ、ヴァリエーションの少なさでは、T&TやゲームブックのFFもかなり少ないですけど、版上げによってスキルを増やしたり、後から魔法を習得できるようにしたり、初心者でも入りやすい分かりやすさと奥の深さを両立させるようになりました』

ヒノキ「しかし、80年代のD&Dはまだそこまでの域に達しておらず、D&Dとの差異を売りにしたゲームもいっぱい出て来るようになる、と」

NOVA『87年に翻訳されたT&Tは、ゲームブックの流れを受け継いだ文庫RPGというスタイルと、数々のソロシナリオ群でただのD&D亜流との評価から脱却し、独自の立ち位置を示すようになりました』

ヒノキ「ソード・ワールド誕生前のSNEの看板商品の一つでもあったからのう」

NOVA『今年がD&D50周年なら、来年はT&T50周年でもありますし、スピンオフという形では現役システムでもあります』

 

NOVA『87年には「指輪物語RPG」が、翌88年には「ルーンクエスト」と「ストームブリンガー」がホビージャパンから出て、D&Dとは異なるファンタジー世界とシステムを提示しました。これによって、ファンタジーRPGにもヴァリエーションが広がった、と』

ヒノキ「『ウィザードリィRPG』と『ファンタズムアドベンチャー』も88年ではなかったか?」

NOVA『そうですね。もう、ここまで来ると、D&Dにこだわる必要があまりなくなったというか、ライバルがどんどん出て来る状況で、87年に緑箱コンパニオンが、89年に黒箱マスタールールが出て、そこまでで新和版クラシックD&Dの時代は終わりです』

ヒノキ「89年にソード・ワールドと、ロードス島コンパニオン(ロードス島戦記RPG)が出るからか?」

NOVA『まあ、そちらが日本のRPGの覇権を取るのもありますが、翌90年にアドバンストD&Dの展開が始まって、クラシックD&Dのサポートが打ち切られるんですね。しかし、アドバンストD&Dの展開はうまく続かず、結局、新和はD&Dのサポートから手を引くことに』

ヒノキ「5年ほどの天下じゃったか」

 

90年代に入って

 

NOVA『さて、90年になると、タクテクス誌が誌名変更して、RPGマガジンが登場します。80年代のシミュレーションゲームの天下がRPGに移り変わった象徴のように見られますね』

ヒノキ「しかし、シミュレーション・ジャンルは、アナログよりもデジタルゲームの世界で一つの定番となるじゃろう。『ファイアーエムブレム』とか『スパロボ』とか」

NOVA『その辺は、ユニットの成長も含めたシミュレーションRPGに分類されますね。ファミコン後期からスーパーファミコンにかけて、ゲーム容量も増えて行くので、パソコンゲームが主舞台だったデジタル系のシミュレーションゲームも、家庭用ゲーム機に移植されたり、簡略化された作品が登場したりします。例えば、メジャーどころでは1983年に光栄から出た「信長の野望」シリーズが、1988年に初めてファミコンに移植されたり(シリーズ第2弾の「全国版」から)、1985年の「三国志」シリーズがやはり88年にファミコンに移植されるなど、88年が家庭用ゲーム機におけるシミュレーションゲームの黎明期と言えるかもしれません』

ヒノキ「なるほど。『大戦略』シリーズや『ファミコンウォーズ』といった作品も88年じゃのう」

NOVA『1990年に出たスーパーファミコンでは、89年にパソコンで出た「ポピュラス」が早速移植されるなど、最初からシミュレーションゲームもラインナップに入ってますな。都市育成ゲームの「シムシティー」も91年に移植されましたし』

ヒノキ「『サクラ大戦』はいつからじゃ?」

NOVA『それは96年のセガサターンからで、次の世代の作品ですね。まあ、デジタル系の話はさておき、TRPGに話を戻します。90年の代表作品としては、ツクダの「ブルーフォレスト物語」とホビージャパンの「メタルヘッド」が意義深いと考えます』

ヒノキ「その年はAD&Dやメガトラベラーが日本語版として登場しておるが、それよりも?」

NOVA『残念ながら、それらの2作はTRPG業界に大きく進化をもたらしたとは言えません。既存のゲームシステムの発展版なので、ジャンルそのものは先例継承ですから、新規開拓とは言えないわけですね』

ヒノキ「ブルーフォレストは、東洋風のファンタジー世界シュリーウェバが舞台じゃのう」

NOVA『東洋風ファンタジーというのも新要素なら、さらに同システムの別舞台での冒険をテーマにした「ギア・アンティーク」(91年)とのリンクが当時は革新的だと思います。産業革命期を舞台にしたスチームパンク風世界は、要するに「天空の城ラピュタ」(86年)を再現できるわけですからね。当時、日本のアニメですと、ワープスが「逆襲のシャア」や「カリオストロの城」をサプリメントとして発売し、汎用的な基本システム+物語世界をサプリメントとして後から追加、というスタイルをいち早く導入していました。で、ジブリというのが、日本の代表的なアニメとして発展していく中で、ナウシカラピュタを再現できるTRPGシステムが日本にはなかったわけです』

ヒノキ「なるほど。海外ファンタジーに追いつこうと頑張った80年代から、日本のアニメやヒーロー物などの物語資産を活用しようと意識の変革が行われたのが90年代、と」

NOVA『ロードスも、和洋折衷の「海外ファンタジーをいかに日本に取り込むか」で試行錯誤しながら、同じフォーセリア世界のソード・ワールドクリスタニアという派生作まで発展していきましたが、そういう王道ファンタジーと、獣人の世界という変化球を打ち出す一方で、国内の売れ筋物語には距離を置いたわけですね』

ヒノキ「その辺を意識して行ったのは、92年のGURPSや95年のマギウスからであろう」

NOVA『RPGのシステム進化の話を考えると、最初に海外RPGの模倣があって、それが80年代の主流だったわけですね。もちろん、土台はD&Dなんですけど、D&Dでは再現できない要素は何かを考えることで、日本独自のシステムへの模索が始まる。海外のシステム研究と、そこから日本オリジナルのシステム案とか、とにかくシステムをいじることで遊びやすいゲームを作ろうとしたり、リアリズムを追求したり、足し算や引き算が行われる』

ヒノキ「システムの他に、世界観も重要じゃのう」

NOVA『世界観には2種類ありまして、TRPGというシステムを土台にオリジナルの世界観を構築する手法(ロードスやソード・ワールドはその方向)と、既にある物語の原作を再現できるようにシステムを再構築する手法(そこから生まれたのが、ソード・ワールドのヴァリエーションであるドラゴンハーフとか)ですね。要は、ゲームシステム先行か、原作物語先行かです。

『元々、D&D(AD&D)がシステムを先行させて、大量のデータを用意して、そこからゲームマスターが好きなものを取捨選択して、独自の世界観に落とし込むことを推奨したゲームですから、それで生まれたロードス(D&D元来のものとは異なる独自の神話や精霊などの概念が特徴)を今度はD&Dと異なるシステムでどう再現するか、という逆展開にもなるわけですな』

ヒノキ「ゲーム→ストーリーから、ストーリー→ゲームという双方向の進化じゃな」

NOVA『そもそも、世界観という言葉も、80年代の物語研究の流れで一般化されるようになった考えです。アニメ雑誌のブームも80年代から発生し、それまでは子ども向きとされたアニメや特撮ジャンルが大人向きの奥深い設定を模索して、サブカルチャーが発展していく過程が80〜90年代に見られるようになるわけですが、そこにゲームというジャンルもクロスメディアという形で関連づけられるのが80年代後半から90年代なんですな。

『その方向性を最も強く意識したのは、KADOKAWA系列の出版界であって、そこに模型方面のホビージャパンや、玩具業界のバンダイ、さらにデジタル方面でのスクウェアとかが各々の立場からあれこれ提携して、ジャンルの発展に寄与して行く時期です』

ヒノキ「海外ファンタジーやSFの取り入れがあって、そこに日本独自の要素をブレンドして行く中で、海外にできない物を模索して行く。その一つがアニメジャンルということか」

NOVA『ブルーフォレストは、日本人が作ったアジアンテイストなRPGで、一方のメタルヘッドは、サイバーパンクの走りとして、トラベラーとは異なる近未来サイバー冒険ものというジャンルを開拓した作品です』

ヒノキ「サイバーパンクといえば、当時の最先端は1989年の『攻殻機動隊』と考えるが」

NOVA『それ以前に、82年の「AKIRA」や85年の「アップルシード」があるわけですね。俺自身が当時は中学生だったので、青年誌にアンテナを張っていなかったために、後年にアニメ化されて初めて作品タイトルを知るに及ぶわけですが(AKIRAアップルシードともに88年にアニメ化される)』

ヒノキ「なるほど。昭和から平成に切り替わる直前には、日本でもサイバー物の流れが来ていたのじゃな」

NOVA『当時の俺の限られたアンテナには、「サイボーグ009」や「ドクタースランプ」「ドラゴンボール」、そして「ターミネーター」「ロボコップ」が代表的なサイバー物でした。基本はアニメと洋画ですね。宇宙刑事メタルヒーローも一応、デザインとしてはサイバー系の路線で構築されたみたいでしたが、自分の中では機動刑事ジバン(89年)まではサイバー系と認識できておらず。あとは88年のサイバーコップですか』

ヒノキ「やはり、88〜89年が近未来サイバーSFというジャンルがいろいろ作られる流れがあったのじゃな」

NOVA『で、サイバー物に必要な要素を挙げると、まずは乗り物(マシン)としての大型バイクが挙げられます。次に銃器は世界観としてあった方がいい。ただ、主人公が銃を使う必要はなくて、日本のヒーローとして考えるなら、銃よりも剣ですな。敵兵士の銃弾の雨をかい潜って、素早い動きで斬り込むか、銃弾を刀で弾き返す達人の方が受ける。まあ、サブ主人公あたりのポジションで銃器使いがいるといいので、RPGとして考えるなら銃使いも必要になる。そして、ネットに接続できる能力ですが、これは90年代の半ばにインターネットが一般化される前は、本当にSF的空想の産物だったわけで』

ヒノキ「それでも、そういう要素を近未来SFとして先見の明をもって、描き出す必要があった」

NOVA『まあ、80年代の近未来像って歪なところがあって、最先端技術で大企業もしくは大型コンピューターの支配する電子の要塞都市と、世界戦争もしくは大災害によって崩壊した都市街の荒野の両極端な世界観なんですな(ロボット物では「レイズナー」の2期が雰囲気近い)。そこで、荒野を探検するアウトロー的何でも屋になるか、企業のエージェントもしくは反抗的な活動家(もしくは不良少年)として都市を舞台に駆け抜けるかの方向性。なお、大企業や組織が作った改造人間やロボットが反旗を翻して、人間の自由を守るために戦うってテーマだと、日本では石ノ森章太郎さんがメジャーな先駆者的で、仮面ライダーキカイダーになる』

ヒノキ「なるほど。90年前後に、70年代の特撮ヒーローがサイバーパンク的な解釈でブラッシュアップされたこともあって、それがこれじゃな」

NOVA『「真・仮面ライダー」は、サイバー系にバイオ的な解釈も入って作られましたな。遺伝子とかバイオテクノロジー的な要素がフィクションに多用化したのも90年代の特徴ですか。それまでは、放射能で巨大化や突然変異、呪術や謎の細菌、宇宙生物による侵蝕とかで怪物化していたのが、より科学的に遺伝子改造とか生体融合とか実験生命体の暴走とか言い始めたりする。その辺も、サイバーではないけど、近未来SFの重要要素になりますか』

ヒノキ「しかし、そういう要素を表現できるRPGが日本にはまだなかった、と」

NOVA『SFではトラベラーと発展系のメガトラベラーですが、遠い未来の宇宙は表現できても、バイオテクノロジーやサイバー技術は70年代SFのそれで古臭い。そもそも、バイクアクションするためのルールすらない(宇宙船戦闘はできるのに)。トラベラーのルールでは、仮面ライダーロボコップもプレイできないわけですよ』

ヒノキ「日本では、ワープスやルール・ザ・ワールドで特撮ヒーローは再現できるが?」

NOVA『まあ、ヒーロー用のルールはありますが、メカ描写とか詳細ではありませんね。詳細なメカ描写と世界観で、近未来SFをファンタジーRPG冒険者チームのノリで再現するために作られたのが「メタルヘッド」で、その辺の歴史的意義はもう少し高く評価していいと思うんですよ』

ヒノキ「どうして、今は知られていないんじゃ?」

NOVA『崩壊した近未来世界というイメージが、いかにも世紀末的な時代遅れの産物で、古臭いからじゃないですかね。90年代には流行ったかもしれないけど、「20XX年、世界は大変動によって崩壊して乱世となっていた」という世界観は、平成前半だからこそリアリティをもって受け入れられたのだと考えます(俺の世代だと、それも懐かしい思い出、ノスタルジーになるんですが)』

 

NOVA『90年はアドバンストFF、91年はウォーハンマー。それに文庫でない書籍スタイルの「パワープレイ」、そして多元宇宙をテーマにした「マルチバース」という作品が語れますが、サイバーパンクにはつながらないので置いておいて、翌92年が「スペオペヒーローズ」「TORG」「GURPS」の登場で、SFやサイバーパンクのジャンルが活性化する流れですね』

ヒノキ「一気に作品タイトルが増えたのう。解説が必要ではないか?」

 

  • アドバンストFFゲームブックのFFシリーズが進化した文庫RPG。FFが簡易RPGの極みみたいなルールなので、ようやく魔法やスキル、成長ルールが加わって、本格的なシステムとして遊べるかな、と思いきや、この辺りでゲームブックのFFシリーズそのものの展開が打ち切られたので、日本で再展開されるまで25年を費やすことになる。現在はAFF2版が順調に展開中。
  • ウォーハンマー:AFFに続く形で、晩年のウォーロック誌で持ち上げられた。非常に多数の職業クラスで、転職を繰り返して技能を習得していくのが楽しいゲーム。イギリス代表RPGで、D&Dのライバルとして持ち上げられた時期もある。ミニチュアゲームとしては、世界最高峰という意見もある。現在もホビージャパンで展開中。
  • パワープレイホビージャパンから出たA4書籍スタイルのファンタジーRPG。これまで箱入りタイプのマニア好みなゲームを出して来た同社が、初めて出した書籍スタイルの初心者向きRPGとして話題になった。手軽にヴァリエーション豊かなキャラメイクと、サプリメントによって独自の魔法や世界観を構築できる良ゲーム。何よりも、文庫以外の書籍流通のTRPGルールの新スタイルを打ち出した点が、日本のTRPG史的に重要だと考えます。
  • マルチバース:異色ファンタジーRPG『ファンタズムアドベンチャー』のデザイナーが次に出した異色SFRPG。タイトル通り、トラベラー的な人型生物中心の宇宙観に留まらず、変な外見や特殊能力を持った宇宙生命体をアットランダムに構築できるシステムが面白い。実際のプレイアビリティはともかく(苦笑)、変なキャラクター作成ツールとして考えると、想像力を掻き立てる楽しいゲームです。これと同様の趣旨を持つゲームだと、『ビヨンド・ローズtoロード』のサプリメント『変異混成術師の夜』があって、キャラ作りだけで楽しめる代物だ、と。ある意味、トラベラーの経歴システムの発展版とも言えるし、これが進化すると『セブンフォートレス』のランダム特殊能力チャートになって、一発芸的なキャラメイクは、それだけでウケる場合も(まあ、実プレイの上では事故とも言えるけど)。
  • スペオペヒーローズ:パワープレイに続いて、山北篤さんがデザインしたSFゲーム。重厚な宇宙観のトラベラーに比べて、もっと軽くプレイしやすい宇宙SFがプレイできるゲームとして、NOVAのお気に入り。このシステムを使って、オリジナルで『銀河戦隊コスモレンジャー』なる設定&シナリオを学生時代に遊んでいたりも。
  • TORG:これも山北さんが最初に翻訳した多元宇宙ものゲーム。パワープレイやスペオペヒーローズが割と過去の遺物になっている中で、これは令和に入ってから新版の『TORGエタニティ』が出た現役ゲーム。多元宇宙と言っても、『マルチバース』がランダムにいろいろな星系と生物が作れるゲームであるのに対し、またAD&Dの90年代展開(スペルジャマー)が多元宇宙に旅をするゲームだったのに対し、こちらは多元宇宙の侵略者が複数、地球の各地に出現し、現地の世界法則を書き換え、地球の各地にファンタジー世界やサイバー世界、ヒーローと悪の組織の戦う世界やら、オカルトホラーの世界、恐竜とトカゲが生息する原始世界、そして企業支配と忍者の跋扈する近未来陰謀都市の世界など、多彩な世界観で悪漢退治ができる作品。まあ、アベンジャーズスパロボなどの走りと言ってもいい。
  • GURPS:ということで、90年代になると、TRPGは基本のファンタジーや古典的なSFでは飽き足らず、マルチジャンル志向の時代に突入していたわけですな。新しいシステムと新しい世界観を各社が次々と発表する中で、そういうマルチジャンルを当初から打ち出していたGURPSがついに日本に上陸。いろいろな作品展開がありましたが、日本展開のメインは、友野さんのファンタジー世界『ルナル』と、友野さんと山本さんのタッグで展開した『妖魔夜行』が2本柱となって、その後も格闘ゲームの隆盛に合わせるようにサプリメントの『マーシャルアーツ』を展開したり、小説と追加データや世界観のサプリメントを多数出版し、90年代とゼロ年代のSNEのゲーム展開の一つの柱となっていきました。ただ残念なのは、宇宙SFを展開するためのサプリメントが翻訳されなかったので、ファンタジーもできるし、現代アクションもできるし、ヒーローもできるし、サイバーパンクもできるのに、巨大ロボット物やスペースオペラ、未来科学のSFができないという。だから、日本では『GURPSドラゴンボール』はできるけど、『GURPSスパロボ』とか『GURPS宇宙戦艦ヤマト』とかはできない。まあ、ロボは『バトルテック』で賄えってことだろうけど。

 

ヒノキ「やはり、90年代に入ると、TRPGのシステムも、いろいろと多様化したみたいじゃのう」

NOVA『他には、時代劇の「大活劇」なんかも92年の作品でしたな』

ヒノキ「こういう作品が登場する中で、いよいよ93年に『トーキョーN◎VA』が誕生する、と」

NOVA『そのシステムの革新的な要素は、次の記事で語りたいと思います』

(当記事 完)