花粉症ガール外伝・コンパーニュ記

会話リプレイ形式の「精霊少女や仲間たちの趣味雑談ブログ」。お題はTRPGを中心に特撮・怪獣ネタ成分が濃厚。現在は、ソード・ワールドのミストグレイヴ妄想リプレイ「魔神ハンター」を終了に向けつつ寄り道迷走気味。

きくたけゲームと聖闘士星矢のまとめ

システムの版上げの話

 

リモートNOVA『さて、前回はセブン=フォートレスV3を中心に、多元世界TRPGの歴史とか、FEAR社製TRPGのいくつかを触れながら、何とか聖闘士星矢話と絡めてみました』

ヒノキ「FEARさんの最盛期は、ナイトウィザードがアニメ化された2007年を頂点として、世紀明け前後から2010年代半ばまでと認識しておるが」

NOVA『個人的には、文庫リプレイでいっぱい追っかけてきた会社でもありますので、富士見書房ファミ通文庫のリプレイ本が出なくなった時点(2014年辺り)で、あれ? と思ってたりしてたんですね。その辺の時期は、俺も諸事情でTRPGのルールやサプリの購入からは離れてたわけですが、FEAR社の20周年コラボリプレイは楽しませてもらいました』

ヒノキ「その前は七砦リプレイの完結、アリアンロッド・サガの完結、アルシャード・トライデント企画の完結など、FEARさんが得意とするコラボキャンペーンの幕引き後ということもあって、そこからの新展開を期待していたら、文庫リプレイがソード・ワールドを除いて、続かなくなったという」

NOVA『リプレイは文庫で追っかける(新紀元社の新書とかも買ってたけど)習慣がずっと続いていたので、そこから入ってくる新作情報も絶たれてしまう形になって、同時期に地元のゲーム書籍を扱う書店も閉店してしまったりで、個人的にゲームに接する機会が激減しました』

ヒノキ「『ゲーマーズ・フィールド』で追っかけなかったのか?」

NOVA『いや、セブン=フォートレスのリプレイが終了したことで、雑誌を買う動機が薄れたりもしまして、まあ、10年代はいろいろと大変だったんですよ』

ヒノキ「で、2018年にD&D5版とソード・ワールド2.5を契機に、TRPGの追っかけを再開した、と」

NOVA『まあ、本棚にいっぱいある昔のゲームだけでも、十分楽しめると割り切って、新作への食指が動きにくくなっていたんですね。で、そのタイミングでSNEがGMマガジンやウォーロックマガジンを刊行したり、ファイティングファンタジーの復活などで、令和に入って帰巣本能が働いたりもした次第』

ヒノキ「しばらくFEAR離れをした、と」

NOVA『いや、それでもこれらは買いましたよ』

NOVA『D&D5版サプリとソード・ワールドの追っかけに集中する一方、完全版とかパーフェクトって単語の響きに弱くて、持ってないサプリの絶版情報なんかも気にした頃合いに(スキルガイド2が入手難とか聞いて)、その後、パーフェクトスキルガイドが出ると聞いたから、久々にきくたけさんの作品にお布施しました。きくたけさんの本の前書きや後書きの煽り文とか、本を出すまでの苦労話とか、それでも頑張って出したから楽しんで下さいとか、仕込まれたネタの一部紹介とか、好きなんですね』

ヒノキ「それなのに、『ナイトウィザード』3版にはお布施しなかったんじゃな」

NOVA『いや、リプレイは買いましたよ。その結果、思ったのは、あまり大きな変化はないけど、セブン=フォートレスとのクロスオーバーが終わったら、魅力減だな、と。2版が超豪華版だったから、3版は出涸らしのお茶のように思えたりして、結局、売れなかったので、展開が中断したみたいですけど、こうなると逆に3版のレア度が上がったりするんじゃないですかね』

ヒノキ「超合金玩具で、当時は人気のなかったゲッター3が、売れずに出荷点数が少ないので、後年、お宝的価値が高騰したようにか?」

NOVA『そう。同じ逆張りセンスを発揮するなら、ナイトウィザード3版のルールの魅力をたっぷり語るブログ記事でも書けば、レアな分、稀少価値の高さを売りにできると思うんですよ。まあ、ある程度は面白く書ける筆力は必要として』

ヒノキ「では、聞こう。お前さんが考える3版の魅力とは何じゃ?」

NOVA『2版で複雑化した背景世界を整理して、もう一度、初心者が入門しやすいようにシンプル化したのが大きいですね。TRPGって長く続くと、システムも世界観もどんどん追加して行くので、それを追いかける熱心なマニアにはウケるけど、新規のファンの参入障壁が上がる。それを時々、リセットすることで、マニアには新旧の比較論で盛り上がらせ、初心者には最新の分かりやすいコンセプトのゲームを提供する。D&Dが4版から5版に進んだ道を、ナイトウィザードも歩んだわけです』

ヒノキ「なるほど。3版は2版よりも分かりやすいゲームになった、と」

NOVA『システム的な変化は、とにかく初心者向きに整理したの一言ですね。あと、2版は4つのスタイルクラス(アタッカー、ディフェンダー、キャスター、ヒーラー)に16種類のウィザードクラスを組み合わせる形ですが、基本スタイルが4つということはプレイヤー4人にGM1人が推奨ということなんですね』

ヒノキ「うむ。ロードスの時期はプレイヤーが5人から6人というリプレイが一般的じゃったが、その後、FEARさんの多くのゲームでは4人パーティーが定番となっておる」

NOVA『戦士、魔法使い、僧侶、盗賊の基本4種に、もう1職のサブクラスを加える兼業システムがゼロ年代に定着したようです。ところが、FEARの社長さんが実プレイをしている人たちから聞き取り調査をした際に、GM1人、プレイヤー3人というパターンが実際的ということに気づいた。その理由は、一般家庭でのテーブルの大きさが4面で5人は座りにくいとか、車で移動する際に、ほとんどの軽自動車は4人乗りで、大人5人が連れ合うケースは稀だとか、アメリカとは異なる日本の人数事情があるみたいです』

ヒノキ「まあ、オンラインでプレイする場合には、プレイヤー4人でも問題ないがの」

NOVA『でも、そういうデータを得た2010年代は、FEAR製ゲームも版上げに際して、基本クラスを3つにするような試みがあったようで、その影響を受けたのが「アルシャード・セイヴァー」。また、「ナイトウィザード」3版は基本クラスという指定をやめて、好きなクラスを自由に2つ組み合わせる手法をとりました。あとは2版時代にはなかった電脳世界での冒険を導入するサプリが一つの特徴っぽいですね』

ヒノキ「2017年が最終サプリか。新しい世界観は思いのほかに受け入れられにくかったようじゃな」

NOVA『まあ、ヴァーチャル・リアリティ(仮想現実)やオンラインゲームの世界をTRPGで遊ぶ意味があるのか、と俺みたいな古い世代の人間は思いがちですが(それなら普通にオンラインゲームを楽しめばいいだけだし)ゲーム内ゲームという架空遊戯に魅力を感じなくなったというのもあります。ただ、その方向性の進化系にこの作品があるのかも』

ヒノキ「持ってないゲームに、あれこれ論評を加えるのはどうかと思うのう」

NOVA『それもそうですね。買わない理由づけのための論評になってしまうのもネガティブなので、ここは買ったものに絞って、聖闘士星矢につなげましょう』

ヒノキ「結局それかよ」

 

七砦メビウスと聖闘士話

 

NOVA『アテナの自害に端を発して、過去編のあれこれがリセットされて、あと2週で終わるようですが、さておき、メビウスの上級データブックには、バーニングナイトの他に、セーラーウォーリアという追加クラスが用意されています』

ヒノキ「セーラー戦士セーラームーンか何かか?」

NOVA『それもありますが、海の守護者の聖闘士です』

ヒノキ「それは海闘士(マリーネ)とは言わんか?」

NOVA『ラース=フェリアの海の守護者はポセイドンではなくて、女神ティーシャなので、属性が調和・慈愛・知識・犠牲で、盾を掲げる乙女風なので、実質的に女神アテナとポセイドンを足して割ったようなキャラ付けです。そしてティーシャの加護を受けた海護鎧(シード)を身にまとって戦うのがセーラーウォーリアです。彼らの得られる特殊能力はところどころ聖闘士っぽいフレーバーで彩られていますが、もしも〈秘伝星界魔法の素質〉を会得すれば、セラムンっぽい魔法を使うことも可能』

ヒノキ「何と。聖闘士星矢セーラームーンの両方の能力を合わせ持つのが、セーラーウォーリアということか。道理で、星矢とセラムンはつながってると主張しおると思ったら、そういう伏線だったとはのう」

NOVA『まあ、そういうことにしておきましょう。で、今、記事書きして気付いたんですが、俺は普通、戦士をウォリアーと表記する癖があるのですが、セブン=フォートレスではウォーリアだったんですね。長年、七砦ファンだったにも関わらず、今、初めて認識しました。書き間違えないように気を付けないと』

ヒノキ「ウォーリアは七砦の基本クラスで、何度も出て来る単語なのに、これまでの人生で気づかなかったとは、余程ぼんやり生きている証拠じゃのう。ヒヒヒ」

NOVA『いや、普通はウォリアーでしょう? そう思って調べてみると、ウォーリアは兵器の名前で使われることが多い感じですね。とりあえず、セブン=フォートレスではウォーリア表記が普通で、ラース=フェリアの常識は兵器の世界に準じている、と考えておきます。きくたけさんがミリタリーマニア(特に艦船)であることにも影響されているってことで』

ヒノキ「で、噂のセーラーウォーリアじゃが、具体的な特殊能力をいくつか挙げてくれんか」

NOVA『ええ、いかにも聖闘士っぽいものを挙げてみます』

 

  • 海魔拳:海護鎧の魔力を攻撃にまとわせ、敵を束縛する。冷気や鎖状の魔力で捕える、精神攻撃で悪夢を見せるなど、使い手によって手段は異なる。
  • 海護獣鎧(ビーストシード):あなたの海護鎧は白鳥や天馬、竜、人魚など動物や幻獣を模した美しいフォルムを持つ。そこに込められた魔力は、装着者のプラーナに反応して何倍にも増幅する。
  • 海護輝鎧(ゴールドシード):あなたの燃えるプラーナを受け、海護鎧がさらなる高みへと進化を果たす。黄金の輝きを帯び、文字通りケタ違いの能力を発揮する。
  • 海護神鎧(ゴッドシード):セーラーウォーリアの命が燃える時、ティーシャの奇跡がそこに降臨する。人のまとう武具の域を越え、神の鎧へと進化する。

 

ヒノキ「ゲーム的な数値データを省いた説明文じゃな。いかにも聖闘士っぽいが、ペガサス流星拳はないのか?」

NOVA『さすがに、固有名詞をそのまま使うのはパクリでしょう。パクリにならずに、パロディにするには、名前をそのまま使わずに、だけど事象の解説で、ああ、元ネタはあれだな、と類似性を帯びさせる「似てはいるけど、そのままではない」という距離の取り方が必要です。距離感のおかしな人間は、パロディとパクリの違いが世間の認識と違うという可能性もあるので、人付き合いでも創作でもトラブる可能性があると思われ』

ヒノキ「で、流星拳はあるのかないのか、どっちなんだい?」

NOVA『そこで、ない筋肉を誇示されても、読者には何のネタか分からないでしょ。そのネタをやるなら、ゲンさんが適任でしょうに』

ゲンブ「呼んだでござるか?」

ヒノキ「呼んどらん。マッスル太郎の芸なぞ、今は求めておらぬゆえ、引っ込んでおれ」

ゲンブ「むっ、セブン=フォートレスでキャラ作りをする際には、我も混ぜて下され」

NOVA『キャラだけ作る記事に、読者の需要があればいいんですけどね』

ヒノキ「で、流星拳じゃが」

 

  • ウェーブパニッシャー:寄せては返す波のごとく、一瞬で何万発もの連続攻撃を敵に叩き込む。

 

ヒノキ「う〜む、流星拳とは似て非なる技じゃ」

NOVA『そもそも、これってマイナーアクションで行う攻撃補助技なんですね。MP4点消費して、攻撃のダメージを上昇させる系の。だから、拳で攻撃すれば、流星拳にもなるし、他の武器を使って高速連打にオリジナルの名前を付けてもいい。というか、創作するなら、技の名前や魔法の名前をパクるのは本当にセンスがないなあ、と思われます。格好いい固有名詞を考えるとか、用語を考えても、武器の名前や技の名前が元ネタそのままだと、おいおいってなりますね』

ヒノキ「ファイヤーボールはだめか?」

NOVA『ファイヤーボールは、D&Dでメジャーになりましたし、ほぼ一般用語と言えますが、マジックミサイルは一般語とは言えないですね。そこは、〈火球〉とか〈灼熱火球〉とかにカタカナでルビ入れするのが、小説の作法かと思いますね。マジックミサイルは、ソード・ワールドでは使わずにエネルギー・ボルトになりましたし、〈魔力矢〉とか〈光弾〉とかアレンジのしようはいくらでもあります。カタカナ語は、呪文の名前としてはいかにもゲーム的で、魔法の名称にも世界観が現れますし、「ホイミを使うわ」と「回復呪文(ホイミ)を使うわ」だと、後者の方が小説っぽいのは90年代のコミックでも普通に発明されているわけで』

ヒノキ「魔法の名前だけで、元ネタゲームが分かるな」

NOVA『流星拳のような連打系は、元は北斗百裂拳からの発展系ですし、幽遊白書(霊光弾の応用技のショットガン)とか、ジョジョスタープラチナによるオラオララッシュとか、とにかく拳の連打はビジュアル的に絵になりやすいですね。基本技ながら応用発展性が高いので、正統派主人公向きとも言える。まあ、リアルな格闘系で話を作るなら「1秒間に3発のローリングサンダー」辺りから始めると、まだ人間の強い奴程度の地に足の付いたレベルで描けるでしょうし』

ヒノキ「リアルな人間の格闘戦を描きたいのか、荒唐無稽なスーパーヒーローの超人バトルを描きたいのかでも、作劇の方針が変わって来るのう」

NOVA『コミックやアニメなら、絵で見せられるので凄い作画技術さえあれば、多少無茶でも説得力のある描写はできる。ただ、小説だと誰の視点なのかが読み手のスムーズな受け止め方に影響されるし、凄い技を描きたければ、それを観察するキャラにも相応の知識が要求されます。凄い技に対して作者が出しゃばる形で地の文で解説を加えると、ラノベだと失格だし、古いタイプのアクションノベルだと、解説役の作者は全てにおいて客観性を崩してはいけないし、感情移入しやすい性質の作者(俺含む)は視点キャラの固定に努めるのがセオリーだな、と』

ヒノキ「何だか創作技術の話になっておらんか?」

NOVA『では、寄り道脱線警報が出たので、小見出しごと切り替えましょう』

 

寄り道創作論ルート

 

NOVA『さて、ここでのテーマは、作品媒体によるパロディ要素の可否にまつわる話です。TRPGの場合は、プレイヤーに「ルールのあるごっこ遊び」を楽しんで欲しいという目的があるから、聖闘士星矢ごっこをしたい者向きに、聖闘士っぽい技をパロディとして混ぜても許されるわけですが、それをそのまま小説で書いても、面白くなるのかと言われたら微妙ですね』

ヒノキ「ゲームと小説は違うということか」

NOVA『ゲーム→リプレイ→小説という段階があると思うのですが、ゲームはプレイヤーに遊んでもらうという目的があるから、遊びが面白くなるようにネタを投入する。アニメやコミックのノリを再現できることを売りにしたゲームなら(七砦は最初からそう)、そういうパロディがあっても、いや、あった方がプレイヤーは喜ぶ。ただ、リプレイになると、プレイヤー発言で言及されても、そこは「まるで某聖◯士みたいですね」と伏せ字で表現され、自己ツッコミで匂わせる程度。で、大事なのは、そのネタが序盤の取っ掛かりのみってことですね』

ヒノキ「どういうことじゃ?」

NOVA『分かりやすいのは、前回も挙げた「フレイスの炎砦」なんですが、前半は露骨な聖闘士なんです。巫女を守護する戦士の筆頭が教皇と呼ばれるガザという男で(原典のサガのパロディ)、巫女殺害の罪をプレイヤーキャラになすりつけて、そこからの逃避行および巫女復活のための冒険が始まるわけですが、ガザの差し向ける刺客戦士との対決や説得なんかで物語が展開するんですね』

ヒノキ「なるほど、星矢じゃな」

NOVA『ただ、中盤から話が変わって来て、V3独自のクロスオーバー展開を示して、ファンタジー世界ラース=フェリアの探索者(冒険者をそう呼称する)が仲間の柊蓮司の故郷である現代日本風のファー・ジ・アースに迷い込んで、異世界転移ドタバタコメディを見せながら、2つの世界を股にかけた真の敵の陰謀を探り当てる展開になる。取っ掛かりは星矢ですが、途中でオリジナル展開が加速する』

ヒノキ「ふむ、それで?」

NOVA『これでガザが双子だったということになれば、星矢のパクリになるし、どうせ巫女が女神アテナみたいに復活するんでしょってプレイヤーや読者の予想も微妙に外してくる』

ヒノキ「復活するんじゃないのか?」

NOVA『ネタバレになりますので詳細は伏せますが、巫女の運命の一部は主役ヒロイン(実は巫女の魂の片割れみたいな生まれだった)に受け継がれ、また柊の幼なじみの少女くれはも異世界の巫女ということで、3人の巫女の運命を巡る物語に帰結する、と。なお、「巫女と魔王」という題材はナイトウィザードのシリーズテーマに掲げられています。セブン=フォートレスが「勇者と世界を脅かす災厄(魔王が代表)との対決」を90年代から掲げていたのに対して、ナイトウィザードは勇者というキャラクラスも掲げつつ、勇者は必須じゃない、と(ナイトウィザードの主役になっていった代表的キャラの柊は、勇者というクラスではなくて戦士相当の魔剣使いである)』

ヒノキ「つまり、パロディは取っ掛かりに過ぎず、中盤過ぎに実は……という物語の真の姿が見えて来る流れじゃな」

NOVA『ええ。セブン=フォートレスは、序盤がパロディ感丸出しのお遊び、ふざけてるのかという(笑)の軽妙さなんですが、その段階で親しみやすさとキャラ立て、ボケとツッコミの応酬を示します。しかし、中盤でシリアスさが増して、終盤が「個人の危機が世界の危機につながるセカイ系ドラマ」の様相を帯びて、感動の(しばしばビターエンド寄り)ラストに帰結します。世界は救われたけど、個人、しばしば勇者の自己犠牲を伴う運命に殉じる話なんですね』

ヒノキ「そこが笑いと涙の秘密なのか」

NOVA『魔王と勇者の対決とか、勇者や巫女の持つ運命の悲劇性とか、今となっては古いセカイ系のテイストなんですね。まあ、ゲーム自体がもう10年も前に終了しており、90年代にスタートしてゼロ年代に駆け抜けた作品だから、古くて当たり前なんですが、序盤のギャグや色物ネタに隠れて、きくたけさんの描いた「時代に合わせての物語の本質」(TRPG業界に限って言うなら時代を創ったと言ってもいい)が、世界滅亡の危機(笑)というワードに騙されて、割と矮小化、過小評価されているようですので、この期に掘り下げてみました』

ヒノキ「勇者や巫女の持つ運命の悲劇性と、それを乗り越える覚悟の強さが感動を呼ぶ、ということか」

NOVA『で、勇者の格好いい運命とは別レベルで、日常系のドタバタコメディを展開して、巻き込まれ体質の不幸属性なのが、新時代の主人公の柊蓮司だったわけですが、彼と憎めない系の美少女魔王を生み出したのがナイトウィザードの時代的意義ですね。美少女魔王ってネタは、10年代では日常系ラノベの定番ネタに昇格しましたし、ここまで来ると、星矢は関係ないって話ですね』

ヒノキ「おい」

NOVA『まあ、星矢は女神アテナの自己犠牲を経ての奇跡、という形で過去編が幕引きとなった感ですが、これも90年代からゼロ年代セカイ系テイストですね。ここから日常系に回帰すると、ゼロ年代から10年代のテイストに流れるわけですが、ともあれ、きくたけさんのパロディは「こういうストーリーになるだろうってプレイヤーに予断を与えておいて、それを見事に覆して、より壮大な話に広げつつ、最後にきちんと風呂敷を(プレイヤーを蔑ろにすることなく)畳む」という磨かれた技術の一環なんですね。その本質を見誤って、パロディと壮大さで感動は生まれると勘違いしたら、中身がスカスカになってしまう、と。だって、パロディ→(途中の緻密な作劇)→壮大な物語の感動、という流れで構築された物語の大事な部分を飛ばしてますから』

ヒノキ「導入と結論は大事だが、そこに至る途中過程を分析しないと、創作はできないということじゃな」

NOVA『で、きくたけさんは、ナイトウィザードで小説家デビューを果たしているのですが(膨大なリプレイ執筆数に比べて、小説はごく限られている)、そこではパロディを抑えて、自前のキャラだけで普通に話を作っています。まあ、リプレイやゲームのシナリオで十分に育ったキャラで話を書いているので、パロディに頼る必要が一切ないということですが、小説に別作品のパロディをうかつに投入すると、ネタにはなっても、物語の面白さには直結しないというのは、当時の山本さんが実例を示しています』

ヒノキ「それは、山本さんの小説を暗に批判しておるのか?」

NOVA『「神は沈黙せず」に露骨なんですが、世界の崩壊する様を表現するのに、古今東西のオカルトやアニメ・特撮のネタを大量にぶち込むんですね。もう、その質ではなく、量で圧倒する勢いで。あれは、もう山本さんでしか書けないという作家の個性が溢れたシーンでしたが、それが作品として面白いかと言えば、さにあらず。作家の脳内の宝箱をひっくり返して混沌を表現することにはなっても、山本さんのオタクとしての作家性を知る者でなければ、何のことやら分からない。

『パロディだけで話を作ると、読者の参入障壁をすごく上げてしまうんです。これがゲームだったら、プレイヤーやGMの遊びのネタとして取捨選択の余地があるんだけど、小説だと、作者の脳内をそのまま噴出させても、よほど同調できる読者でないと意味が分からない。作者は自分を表現するのではなく、自分の創作物を表現しないといけない。これは料理に例えると、「私の料理を食べて、ではなくて、私を食べて」という感覚です。作者が創作物に自分を仮託し過ぎて、調理を怠ると、自分の中の混沌の垂れ流しになってしまって、しかもそれが他の作品のパロディでしかないと、ただの劣化コピーでしかない。*1笑えないパロディというのは、元ネタが伝わらないか、それとも笑えるネタとして調理されていないかのどちらかです』

ヒノキ「なかなか辛辣じゃのう」

NOVA『まあ、俺自身、しばしば陥りがちな罠ですし、本記事が小説ではなく、雑談風エッセイでしかないのと同じです。山本さんもエッセイ的な文章は情感豊かで非常に面白くて、またティーンエイジャーが主人公のラノベや冒険ストーリー、オカルトテーマが違和感なく扱えるゴーストハンターや妖魔夜行だと、才能をフルに発揮してたんですけど、21世紀頭で本格的なハードSF作家として、また大人の読み物として一皮剥ける前段階として、「神は沈黙せず」は過渡期的な作品だと俺は評価しています。当時の山本さんの個性を如実なく表現した作品だけど、面白いかと言われたら微妙で、非常に素人くさい。それでも、そこからもっと一般向けの、持ち前の情感豊かな大人の傑作SFファンタジーに通じる流れが生まれたんだから、素直に感動できる名料理人に上り詰めたんだから、結果論ながら良しとします』

ヒノキ「って、ずいぶん偉そうじゃないか。お前さんに山本さんレベルの作品は書けないじゃろうに」

NOVA『当たり前です。でも、自分に作品は書けなくても、作品評論はできる。それができてこその文学部ですし(専門は史学科だけど)。創造性の才能としては評論家が格下なんですけど、評論家にとって大事なのは、客観性と、作品の本質に切り込む視点と、長期的な観測経験だと考えます。「神は沈黙せず」は、俺にとっては欠陥や粗の目立つ壮大な実験作というか世紀末トンデモ本の延長だったけど、山本さん個人にとってはそれまでの自己の総決算であり、次の段階に昇るために吐き出しておきたい自分自身であったようにも思われます。その意味で、転機的な作品だったのだろう、と。*2ただ、この記事の本題としては、山本さんがどうこうよりも、小説の中でパロディをうかつに使うと、ゲームと違って面白さには必ずしも帰結しないという一例です』

ヒノキ「お前さんも、それで失敗した反省があってのことじゃな」

NOVA『読んでパロディに気づくと、その一瞬だけニヤリとできるんですよ(作者の趣味が自分と通じることが分かったりした場合はなおさら)。でも、ニヤリはただそれだけ。その一瞬を何度も何度も繰り返すと、ニヤリの回数でコメディとしてなら楽しめる。パロディを武器にするなら、ボケとツッコミの応酬でコントにすべきですが、コントじゃ感動できませんよね。一瞬のお笑いを数を重ねて武器にするのは、エンタメの一手法ですが、シリアスな感動を狙うには工夫がいる』

ヒノキ「どんな工夫じゃ?」

NOVA『きくたけさんの場合は、プレイヤーのノリを引き出しながら、GMとしてシビアな現実を笑いながら突きつけて来る。笑いの時間が明けると、この状況をどないしたらいいねん、とプレイヤーが焦って、シリアスなシンキングタイムが生まれる。そして行動に移させる、とゲームならではの緩急自在な流れの構築が見られます。……だけど、それを小説で再現するのは、非常に難しいですね。これに成功したエンタメ小説家を、俺は寡聞にして西尾維新しか知りません。他にも何人か発見できれば、類例分析できるんでしょうけど』

ヒノキ「小説は、物語の雰囲気作りを文章と読者の想像力喚起で行うものじゃから、ギャグに通じるパロディと、感動に通じるシリアスを両方とも一作品に取り込む(読者にわずかな時間でそういうモードに切り替えさせる)のは非常に高度な技ってことじゃな」

NOVA『笑いのツボと、感動のツボは異なりますからね。ゲームのリアルタイムなら、ダイスの出目というランダマイザーで結構両立できる時もあるんですけど、小説では作者が笑って欲しいシーンで読者がウケなかったり、作者が感動して欲しいシーンで白けたり、が普通にあって、その両方を一作品で上手くコントロールして、二兎を追える作家は非常に稀だと認識して欲しい、と』

ヒノキ「まあ、狙って笑わせるとか、狙って感動させることが普通にできるだけでも、作家としては十分と言えるじゃろうしな」

NOVA『そこを日頃から意識的であれ、無意識であれ、研究を重ねているのが創作家というものですからね。さておき、ここで一つオチをば』

ヒノキ「何じゃ?」

NOVA『聖闘士星矢の話はどこ行った?』

ヒノキ「そんなのわらわが知るか!」

 

改めてFEARとセーラーウォーリアの話

 

NOVA『さて、話がグダグダになって来たら、シーンを切り替えるという映画的手法も、FEAR製ゲームは取り込んだわけですが』

ヒノキ「コミカルなシーンと、シリアスなシーンを分けるという手法もあるな」

NOVA『シーン制は、視点キャラを切り替えることで、プレイヤーの発言回数を平均化するというか、口数の少ないプレイヤーにも主役シーンを用意するという効果があります。今回は、あなたの見せ場だからよろしくね、というお約束で、周りに遠慮して発話回数の少ないプレイヤーにも物語に参加する機会を与える、21世紀に入ってからのTRPG発明です』

ヒノキ「FEAR社は、ゲームのルールで物語を表現する手法を、21世紀の最初の10年で1番研究してきた会社と言えるのう」

NOVA『今でも、日本で5本の指に入るんじゃないですか。SNEとの方向性の違いは、SNEはあくまで面白いゲームのルールを考えようって目的なんです。TRPGの形にこだわらず、TRPGでも、どんどん新しいルールを作っては、売れないと見たら、あっさり切り捨てる。作っては捨てるを繰り返すのは、まあ、自社で製作体制を持たないから、という以外に、社長が飽きっぽくて、どんどん新しいものを、というスタンスなのと、本人は製作者ではなく紹介者のスタンスで、製作者を互いに競わせる形式なんですね。もちろん、勝ち上がった面白いクリエイターを持ち上げる。そして、育ったクリエイターに自立させるのが目的みたいなところがある。

『一方のFEARさんは、どこまでもTRPGにこだわって見せて、しかも自社製品に愛着を持つから、サポートが長期に渡る。作品をなかなか切り捨てずに、可能な限り続けていく。マイナー作品にも愛着を示して、それを愛するファンにも気配りをして見せる。会社としてはSNEの方が老舗なんですが、社風としては新規性のSNEと、伝統こだわりのFEARというのが本質です。ただ、FEARさんは俺世代だと後発で、「トーキョーN◎VA」と「セブン=フォートレス」という斬新なスタイルの2作で始めたところがあるから、新規性を売りにした社風だと勘違いされがちでしたが、21世紀に入ってからは安定して積み上げる堅実性を武器に、広げるようになっていった。

『SNEが趣向を凝らした塔を一本一本築いて、高さを競うのに対して、FEARさんは城壁を築いて、安定した城郭にして、しかもあるゲームで生み出したノウハウを他のゲームにも導入して、同工異曲の作品を量産していった傾向がある』

ヒノキ「思いがけず、社風の分析に入りおったか」

NOVA『で、SNEは海外作品の翻訳家にして紹介者気質の社長が、映像関連にはこだわりがない(アニメや特撮、アクションなどには疎い)ところがあって、その辺は若手の水野さんや山本さん、友野さんらが支える形で、90年代は進んで来た。社長の武器は海外作品へのアンテナと、出版関係者への人脈だから、いろいろと情報を集めてきて、「こういう作品企画を考えて見たんだが、誰か挑戦するか?」って形でネタ振りして、立候補する人間がいたらプロジェクトリーダーになる。社長は関連部署への根回しと、企画のアイデア出しと、雑誌記事などでの宣伝活動と、翻訳がお仕事だな』

ヒノキ「なるほど、ここだけのスペシャル情報じゃな」

NOVA『いや、社長が自伝で語ってますから、ほぼ公開情報です。もちろん、社員が十分育ったら、下から社長に企画提出することもあるみたいで、世紀明けにはそれでできた作品も多くなったみたいですが、社長主導でないと長生きできない感がありますね』

ヒノキ「今は、何だかマーダーミステリーを作らせてみるって感じがあるのう。それが一作でも作れない人間には、デザイナーとしての明日がない的な威圧感を雑誌から感じる」

NOVA『雑誌の半分がマダミスで埋め尽くされて、TRPGのページが減っていくのを見ると、ちょっと寂しくなりますが、そうなると、またFEARさんに浮気したくなるかも。FEARさんの鈴吹(本名は中島)社長は、ニチアサでプリキュアなんかも見てますし、その辺の映像作品への理解も深いのは、リプレイでのプレイヤー発言などからも明らか。たぶん、GMさせると、安田社長よりもレベルが高い。そしてTRPGというジャンル愛は、日本最高レベルの猛者だと思う。こちらは自伝がないですけど、リプレイでのキャラ露出が多いですし、近年はYouTubeでの宣伝活動でもお顔を拝見する機会はしょっちゅうですからね』

ヒノキ「きくたけ氏の映像露出はないのか?」

NOVA『10年前のアリアンロッド映像がありますが、1時間超えですので、ここで張り付けたくはないです。代わりにこれを』

ヒノキ「アリアンロッド聖闘士星矢をやろうと思えば、アースランという地域を舞台にすればいいんじゃな」

NOVA『はい、それについては、アルシャード・ガイアやセイヴァーのルーンナイトと同じように、いかにも聖闘士っぽいデータや世界観が別の形で収録されています』

ヒノキ「星矢の別の形じゃと?」

NOVA『アルシャードの方は、元は異世界ファンタジーですけど、ガイアやセイヴァーは現代日本とか地球が舞台でして、そこに奈落から世界を守る秘密組織の一つとして聖闘士っぽい「財閥お嬢さまとルーンナイトの組織アイギス」があるって設定だったじゃないですか』

ヒノキ「うむ。去年、粉っちゃんがルーンナイトのプレイをしておったのう」

NOVA『詳しくは、こちらを参照ですね』

ヒノキ「アルシャードの聖闘士は、世界を守るお嬢さま(古代種族の転生で記憶を受け継いでる)配下の秘密騎士団じゃった。アリアンロッドの方は?」

NOVA『ファンタジー世界ですので、光の女神と闇の死神が対立していて、光の女神に仕える十三人の騎士(十三神将)を筆頭とした神の代理戦士サロゲートをプレイできます。さらに経験を積めば、聖なる鎧(テスタメント)を女神より賜った神聖騎士アギオスに昇格できて、十三神将から奥義を引き継ぐことも可能』

ヒノキ「サロゲートが青銅聖闘士で、アギオスが黄金聖闘士みたいなものか?」

NOVA『少し違います。サロゲートは、女神の加護で武器を召喚できるのですが、鎧は召喚できません。聖闘士は、鎧を身につけますが、原則として武器は使わないから、そっくりそのまま同じ設定というわけではありませんね。その辺は世界観に合わせたアレンジぐらいはしていますな。そもそも、サロゲートやアギオスに星座の属性はないですから』

ヒノキ「そう言えば、ルーンナイトにもそれはなかったのう」

NOVA『一部の要素を抽出しつつ、世界観に合わせた改変を施して、それでも元ネタを再現しているとプレイヤーを満足させるアレンジ具合がいい勉強になります。七砦メビウスのセーラーウォーリアも、アリアンロッドのアースランの戦士たちも、アルシャードのルーンナイトも、きくたけさん原作の異なるゲームの設定ですが、それぞれのゲームで同工異曲の元ネタをどうアレンジしているかと比べてみることで、ただのパクリとは異なる要素抽出の視点を鍛える訓練になる、と』

ヒノキ「ああ、創作家にとっては、自分の作った物が既存のパクリと言われないためには、どういう風にアレンジしたらいいかを考える材料になる、と」

NOVA『こう言っては何ですが、異世界ファンタジー作品のどの世界観を見ても、同じような物にしか見えない人と、いや、この作品の他にない魅力はこの点で、と語れちゃう人がいるんですよ。でも、どっちも所詮は同じファンタジーでしょ、と区別が付かない人間をマニアとして尊敬できますか?』

ヒノキ「何を見ても、所詮は……で片付けてしまう人間とは、趣味の話で深く盛り上がることはできんのう。よく分からないから知りたい人間なら見込みがあるが、よく分かっていないのに達観したつもりで所詮と上から目線に処理してしまう人間は、総じてつまらん輩じゃ」

NOVA『よく分かってないのに、みんな一緒でつまらないから一つにまとめればいいのに、と自分の見る目のなさをアピールしてしまう人間は、多様性という概念とは無縁だと思います。まあ、数が増えすぎて整理しないといけないから、分類するという思考なら分かります。ジャンル分けして、それから個々の特徴を見つけ出して、独自の個性を考察するのが研究者であり、分かってないのに無駄なものとして雑に処理してしまう発言は、まあ自分がそうされても仕方ないかな、と考えますね。研究において邪魔だから』

ヒノキ「自分が知らないものを見下す心理とはどういうものじゃろうか?」

NOVA『そういうのを反知性主義というみたいですが、単純に「自分の知ってるもの=価値のあるもの」「自分の知らないもの=価値のないもの」と見なすことで、価値のあるものを知らない自分のささやかなプライドを守りたい心理の表れみたいですね。まあ、何に価値を置くかは個人の自由ですが、他人にとっての価値あるものをよく知らないのに見下す人間とは、深い話をする気になれないですな』

ヒノキ「知ったうえで見下す人間とは?」

NOVA『性格はいけ好かないですけど、その知識で尊敬はできます。共感には至らないですけどね。まあ、価値観は人それぞれで折り合いのつかないケースもありますが、貧しい価値観に啓蒙の光を当てたいと思うのは、自称・知識人の悪い癖ではあります』

ヒノキ「ややこしい話じゃが、違いの分かる人間こそがマニアということじゃな」

NOVA『識別や判別能力こそが、マニアの武器ですからね。もちろん、知ったうえで、順列をつけることはありでしょう。その基準を示したうえでの順列なら、一聴の余地ありです。また知らないから意見を保留するのも正解です。俺が嫌悪するのは、知らないのに安易に白黒つけて見下す態度ですから』

ヒノキ「まあ、よく知りもしないのに、勝手に意見を述べるのは、子どもみたいな扱いを受けるよな」

NOVA『でも、一番怖いのは、「よく知らないのですが」と前置きしつつ、「非常に高いレベルの意見を口にする専門家」ですな。この場合は、口癖として遠慮しがちなのか、もっと高いレベルの話のできる環境に日頃から身を置いているのか、単に門外漢なだけで専門分野でははるかに高い研究をしている人間が余芸として新たな知識を身につけたい場合か、いろいろあって、いずれにせよ、尊敬に値しますよ』

ヒノキ「よく知らないのじゃが、どこまで寄り道すれば気が済むのじゃ?」

NOVA『あっ、ええと、セーラーウォーリアの必殺攻撃です』

 

シードバースト:プラーナを1点消費して発動する大技。1シーンに1度しか使えない。熟達のセーラーウォーリアだけが使え、敵を空高く吹き飛ばす。物理攻撃か魔法攻撃に、ダメージに15点+セーラーウォーリアのクラスレベルを加算し、ダメージを受けた相手は任意の方向に1マス移動させられる。

 

ヒノキ「なるほど。敵が空高く飛ばされるのは、車田マンガあるあるじゃな」

NOVA『1マスは5メートル四方というのが一応の定義ですが、5メートルしかぶっ飛ばされないのは、聖闘士にしてはどうよ? って気にもなる。だけど、リアルで考えると、ボクシングのリングって5メートル〜7メートル四方らしいので、リンかけレベルならパンチ一発でリング外に殴り飛ばす感じだから、十分強いか、と』

ヒノキ「5メートルを殴り飛ばすパンチとかか。移動距離はともかく、1戦闘で1回しか使えないという点で、十分に大技と思えるな。追加ダメージが15点以上というのは、他の必殺技と比べてみないと、強さが判断できんが、初期段階のHPはどれぐらいじゃ?」

NOVA『戦士系なら耐久力20点から30点ぐらいですね』

ヒノキ「メジャーアクションで《シードバースト》を使って攻撃するが、その前にマイナーアクションで《ウェーブパニッシャー》でダメージを高めておいて、ペガサス流星拳みたいな連打を重ねて、そこから攻撃速度がどんどん加速して、ついに彗星拳に達するような演出で敵にとどめを刺すのじゃ」

NOVA『その前に、実ゲームだと仲間からあれこれバフが飛んできて、ダメージがさらに増えたりするんじゃないかなあ。21世紀のゲームだと、トレーディングカードゲームの影響で、バフを重ねて、どんどん修正ボーナスを増やしていくコンボ技も普通ですから』

ヒノキ「なるほど。大技一発でとどめを刺すよりも、大技にあれこれ補助技による修正を加えて威力を強化するコンボを考えるのが、今の時代のゲームってところじゃな」

NOVA『それと、プレイヤーが自分の技の演出を適度にアレンジしたり、技の名前をオリジナルで考えて、ルール通りのデータで演出のみをアレンジして、オリジナリティを向上させるのも、FEARさんが割と初めに言い出したスタイルじゃないかな』

ヒノキ「確か、そういうスキルの組み合わせを早い段階で考案したのも、トーキョーN◎VAと聞く」

NOVA『俺はTRPGって、D&Dが始め、日本ではSNEが広げ、ホビージャパンが安定させ、FEARが高めたと認識しています。もちろん、他に冒険企画局や、スザク・ゲームズおよびアトリエ・サードや、アークライトや、インコグ・ラボや、様々な会社がユニークなゲームをいろいろ出していて、面白い可能性を生み出しているのは確かですので、歴史を考えるなら、貪欲にマニアックに研鑽する機会を大事にしたいですね。まあ、同人ゲームとかもいろいろで、全てを見極めることなど、とてもできないですけど』

ヒノキ「まあ、好きなものとか、語りやすいところから語るといいじゃろう」

 

セーラーウォーリアの魔法

 

NOVA『で、セーラーウォーリアの秘伝星界魔法の話をして、当記事 完にします』

ヒノキ「星界魔法って何だか響きが格好いいのう」

NOVA『実は、僧侶魔法をそう言い換えているだけなんですがね』

ヒノキ「何と。すると、魔術師魔法は?」

NOVA『紋章魔法です。D&Dが始めた魔術師魔法と僧侶魔法は、その後、D&Dでも秘術呪文や信仰呪文と名前を変えたりして、呪文のジャンル名だけでも、そのファンタジー世界独特の表記で表すようになりました』

ヒノキ「まあ、ファンタジー世界を作るのに、今どき魔術師呪文と僧侶呪文だけじゃと、センスが古いというかオリジナリティに欠けるよのう」

NOVA『魔術師と僧侶という呪文使いの2大職業は基本中の基本なので、コンピューターRPGの世界では常識になっていますが、TRPGや創作小説だと、独特の属性や固有の呼称を考えて、よくある世界とは一味違う個性を表現したがるわけですな』

ヒノキ「現実にも、魔法はいろいろな歴史を持つように、コミックやラノベでも、魔法をテーマにするなら、その世界の魔法体系を説明するのは作者の当然の義務。そこで手を抜くのは、世界観がちゃちだと見透かされるわけじゃな」

NOVA『最初から8種類の体系があって、1つずつ説明するよりは、魔法学園の授業とか、登場した魔法使いの蘊蓄解説とかで断片的に説明して、後から物語の進展に応じて小出しにしても構わない。世界にはまだ未知の魔法体系が隠されていて、主人公の知るのはごく一部……というぐらいの方が、後から追加設定を加える余地があって話を面白く広げやすい』

ヒノキ「まあ、原作ゲームやコミックなどの世界観がすでに構築されていて、それを使っていいなら、一通りの解説を先にしておいてもいいが、新兄さんほどの設定マニアじゃなければ、読んでてつまらん文章になって、読み飛ばすのが普通じゃ」

NOVA『まあ、俺ぐらいの設定マニアだと、読むだけで作者がきちんと考えているか、それとも手抜きかハッタリかはすぐに分かるわけだし、設定については粗探ししながら読むからな。大体、10年ぐらいファンタジー小説ラノベを読んだ経験があれば、設定の粗を見つけるのも容易だし、これはあの作品のあの設定をパクっているなとか、自分の知識から推測できる』

ヒノキ「で、上手か下手かの判断はどう付けるのじゃ?」

NOVA『最初から手を広げすぎる作者は、普通に下手。読者は設定の凄さを誉めてはくれない。物語の面白さを誉めてくれるから、物語に貢献しない設定はただのゴミでしかない。そして、物語を面白くすると分かった設定は、後から遡ってでも読んでくれる。映像作品と違って、小説は前のページを読み返すのが比較的楽だからな。伏線だな、と思ったら、前のページを確認しながら読むし、推理小説で犯人が分かったら、犯人のセリフや行動だけもう一度遡ってチェックするだろう?』

ヒノキ「そんな読み方をするのは新兄さんだけ……ということでもなさそうじゃな」

NOVA『読み返す必要を感じたら、興味津々で読み返すさ。逆に、読み返さなくても分かるなら、スッと流し読みする。で、つまらなかったと思うか、必要なら粗探しして、ここを直した方がいいと指導したりもする。まあ、それが仕事ならな』

ヒノキ「とにかく、魔法体系じゃな」

NOVA『ラース=フェリアの魔法体系の変遷の話をするだけで一記事は書けるが、最初は魔術師と僧侶の区別もなく、7種類の属性魔法を自分の属性に合ったものから自由に選べる。逆に、自分の属性と違う魔法はどうやっても覚えられないルールなので、全ての魔法を修得した天才魔術師は存在し得ないということになる』

ヒノキ「絶対に無理なのか?」

NOVA『炎属性のヒノキ姐さんは、森属性の透明化魔法《森隠身(ロルフェール)》を絶対に習得できないわけです。無印は、職業ごとの魔法の習得しやすさはあるけど、戦士(ウォーリア)でも魔法は使える。職業よりも大事なのが属性で、あと、魔法ごとに必要な知力と信仰心の違いが個別にあって、知力の高い魔法使い(メイジ)が習得しやすい魔法と、信仰心の高い神官(プリースト)が習得しやすい魔法があったりして、後のバージョンとは全然違う大雑把なゲームだ』

ヒノキ「属性で使用魔法が制限されるというのは、後のセブン=フォートレスやナイトウィザードでも同じじゃのう」

NOVA『違うのは、後のバージョンがキャラ作りの際に、2つの属性を組み合わせてヴァリエーションを広げ、使える魔法属性も増やしたのに対し、最初の無印およびクラシック版は、キャラの属性が1種だけで構築するということですね。それはさておき、Advancedで世界設定的に従来の魔法(七宝珠に基づく属性魔法)が消滅し、代わりに新たな体系の属性紋章魔法が構築され、それがメイジ魔法とプリースト魔法に分かれながらも、まだ習得の自由度は残されていました』

ヒノキ「すると、V3で魔術師系の紋章魔法と、僧侶系の星界魔法に完全に分かれたのじゃな」

NOVA『版によって、そこまで大きな魔法体系の変化が見られるゲームも珍しいと思いますね。D&Dの3版から、フォーゴトン・レルムの魔法の女神が死の神に殺害された4版(これによって魔法のルールが大きく変わる)、そして魔法の女神の復活によって混乱した魔法システムが従来のあり方に戻った5版への変化に匹敵する大変動だったりします』

ヒノキ「ゲームの版上げが行われると、世界観も大きく変わって来るのじゃな」

NOVA『で、セーラーウォーリアの使う魔法は、星界魔法なのでクラス専用魔法を除けば、僧侶系になるわけですね』

ヒノキ「まあ、元々、女神の加護で戦うわけじゃから、僧侶系なのは納得じゃな」

NOVA『で、例えば、こういうのです』

 

  • 薔薇破悪(タ・キシード):森系攻撃呪文。魔力で生み出した薔薇を投げつけて、ダメージと共に動きを封じる。オートアクションで使用可能。

 

ヒノキ「ええと、これはあれか? 声優が古谷徹で……」

NOVA『白い悪魔でも、ペガサスでも、磁石の威力でバラバラババンバンでもありませんよ。いや、バラはバラですが』

ヒノキ「そんなことは分かっておる。シルクハットと変な仮面を付けた……」

NOVA『次に行きます』

 

水珠娑舞(アミシャス):海系攻撃呪文。シャボン状の水球を発射し、攻撃と同時に霧で敵をかく乱する魔法。

 

ヒノキ「なるほど。いわゆるマーキュリーじゃのう」

NOVA『亜美ちゃんのシャボンスプレーを縮めて、魔法の名前にする。他にはジュピター、マーズの技にちなんだ魔法はあるのですが、ヴィーナスの鎖魔法がないので、自作したくなると、ゲームデザイナーの罠にハマっている感じですな』

 

三日月舞光(ム・クレセント):幻系攻撃呪文。

 

NOVA『説明の必要はあまりないと思いますが、もしかすると、ムーンとセーラーVを混ぜているのかも。で、最後に一つ、系統違いなのがこれ』

 

霧氷雪結(ダイ・ダスト):氷系攻撃呪文。絶対零度の凍気を生み出し、敵を凍りつかせる。

 

NOVA『ええと、絶対零度だったら、そっちじゃなくて、《水瓶氷射(オー・エクス)》だろうとか、呪文名を捏造したくなったら、今さらながらゲームデザイナーの罠にハマっている感じですな』

ヒノキ「パロディネタを示されたら、自分でも足りないところを似たような命名法則で、マネして補いたくなる仕掛けじゃのう」

NOVA『こうして、自分もゲームデザイナーになれるかも、と錯覚する人間が過去に何人いたかは知りませんが、そういう夢を与えてくれるゲームです、セブン=フォートレス』

(当記事 完)

*1:それでも、作品愛ではなくても作者への愛が濃厚なファンだと、作者の「私を食べて」の描写に喜んで耽溺するものだけど。愛する相手の作った料理だと、客観的には不味くても、美味しく食べてしまえる熟成された舌感覚を持っているわけで。でも、それでは立派な料理評論家にはなれない。

*2:20年前に、こういうことが山本さん本人に言えたら良かったんだろうけど、亡くなった後に昔を思い出して、あの時のモヤモヤを整理して昇華した次第。やはり、年を経てからでないと、見えないこと、書けないこともあるのだと、寂しく納得。