先日の台風21号襲来によって、停電状態となって、ネット活動ができなかったりしていたので、その間の被災記録を後々の備忘録になるように回顧しておこうと思います。
9月4日
この日は、昼から大型台風が上陸することが分かったので、午前中に生徒の家に連絡をとって授業を休みにすることにした塾講師です。
まあ、後日補習をとることにしたものの、この日の仕事はなくなったので、自宅でくつろぎながら、空いた時間をブログ創作に使おうとのんびり構えておりました。
その日に書いた話が、こちらになりますね。別ブログですが、翔花2号改め晶華のその後の話になっていますので、未読で興味を持った方はどうぞ。
で、午後はのんびりくつろぎタイムと思っていたら、昼2時ぐらいに直撃。うお、何ちゅう風や、というぐらい家がよく揺れる。ちょっとした地震並みに揺れて、自分が経験したことのある台風とはレベルが違うことを初めて実感したり。
基本的に、自分の住む阪神圏は台風被害が少ない地域になります。四国山地と紀伊山地が南からの台風をガードしてくれる地形になっていて、大体の台風は、徳島から和歌山を通って、さらに東へ向かい、三重から愛知、東海へそれることになる。四国山地と紀伊山地の間の紀伊水道にスポッと侵入する台風というのは稀で、そこから鳴門、淡路島から神戸に抜けて来る台風というのは、ボーリングで言うところのストライク以上に珍しい。
TRPG的にはピンゾロファンブルを出して、経験値50点をゲットしたような感覚。確率にして、36分の1だ。ゲームだと、何回もダイスを振るけど、台風は本土上陸回数も年間5回ほどだろうし、36分の1だと、まず普通は発生しないと考えられる。まあ、その滅多に出ない目が出ちゃって、しかも防御ファンブルで防護効果無効の大ダメージを食らったような気分なわけで。
ともかく、結構揺れた。
しかし、まあ、通り過ぎてしまうと、「凄かった」で終わってしまうんですね、普通なら。
で、TVで「神戸が高潮で浸水して大変だ」とか「関西国際空港が大変だ」とか、そういうニュースを見ながら、「あ、こういうのはツイートしとこう」と思ったり。
当ブログは9月3日まではツイッター連携機能が付いていて、つぶやき内容が翌朝ブログ記事に自動掲載される仕様でしたが、来年春のはてなダイアリー終了に伴い、同機能もこの度終了。よって、9月4日のツイートは反映されていないので、この機に再録しておくと、
- 台風の風で、家が地震のように揺れてたり。
- 停電になったり、ドキドキモードだ。
大体、2時半ぐらいのツイートでしたが、家が揺れたのは2時過ぎ。その後、短い停電が何度かあったけど、すぐに電気は灯ったので、まあ、風が強いとこういうこともあるかな、と、のんびり構えていたら、2時半にツイートした直後にまた停電。そこからの復旧に時間が掛かって、以降、インターネットにも支障をきたすことに。
こうして、「仕事が休みになったので、自宅待機して、空いた時間をのんびりインターネットしたり、DVD鑑賞したり、有意義にホビーライフを楽しもう」計画は、停電という悪夢のために、「フィクションよりも過酷なサバイバル生活に変貌」したわけでした。
まあ、停電直後は、これほど長く続くとは思っていなかったので、そのうち電気も付くだろう、とタカをくくっておりました。
4時くらいまでは風もまだ強かったので、外に出るのも危険だと思ったので、まだ、のんびり読書したりしながら、早く電源回復しないかなあ、と待機状態。
そして、4時過ぎても、電気が復旧しないので、これはもしかすると大変な状況じゃないか、と思い、情報収集のために外に出てみることに。
あ、近所の信号が機能していない。
近所の公園の木が倒れてる。
近所の人と話しても、停電状態はうちだけじゃないことが判明するなど、家の中にいたんじゃ分からない情報をゲットし、懐中電灯やら電池式のポータブルラジオやらカップラーメンやらを準備。
一番キツいのは、エアコンも扇風機も使えないので、蒸し暑いこと。それでも、台風通過直後はそれなりに涼しかったりもしたので、この時点での問題は大きくない。それと、冷蔵庫も機能不全になったとは言え、冷たいお茶とか何とかなる。
電気がないだけで、水道は生きているので、シャワーを浴びたりもできる。
一日目はインターネットやテレビがなくて、ラジオ以外のマスコミ情報が遮断されただけで、それほど過酷ではなかったです。
まあ、夜が暗くてどうしようもないので、さっさと寝るに限る、と8時くらいに強引に寝たりも。
9月5日
翌朝、空が白み始めた5時頃に目が覚める。
まだ、電気は回復していません。
そして、適度に水分補給しながら、その日にすべきことを確認。まずは、活動範囲を広げて、近所というか、市内を動き回ることに。停電状態なのが我が家の近所だけなのか、それとも市内の他の地域もそうなのか、コンビニや買い物ができる店は機能しているのか、交通機関はどうなのか、などなど、午前中の涼しい時に調べるべき情報はいっぱいある。
午後は暑くなるそうなので、電気の回復が遅れるようであれば、涼める場所の確保もしたいところ。
ともあれ、動き回った末の結論。
まず、仕事のことを考えないといけないので、職場の様子を見に行く。ここで電気が通っていれば、過酷さも軽減されるのに、と思いながら、まずは建物の無事を確認。看板とかが飛ばされていなくて良かったです。
職場の近所の人との情報収集もしたりして、やはり停電状態が市内の各地で広がっていたり、当然、自分の職場も電気がつかず、この日の授業が不可能なことを悟り、入り口の扉に「台風直後の停電のために、本日の授業はお休みにします。補習はまた後日に行うつもりです」と貼り紙をしたりして、この日もまたフリーな時間を確保。
さらなる散策の末、判明したことはいろいろ。
- 近所で倒壊した家、どこからか飛んできたトタン屋根、いたるところに散乱した木の枝や葉、正体不明の石片など、道を行くだけでも荒廃した状態。震災は経験済みだったけど、台風の被害はまた違った趣きがあるな、とか、写真を撮影しようか、と思ったけど、電源の不安がある中、バッテリーの無駄遣いは控えよう、と判断。とりあえず、後でブログのネタにするよう、メモだけはとったり、もっと大切な記憶に留めたり。
- 信号が機能していなかったり、自動販売機の表示ランプが消えていたりすることで、停電の状況は大体把握できた。思っていたよりも広範囲で愕然。
- 道路事情が酷いため、市内バスは運行休止。JRは姫路から京都までの区間が全面運行休止。北の宝塚方面には脱出可能。あと、大阪へ行くのと別ルート(学研都市線)で京橋には行ける。関空辺りの路線は運行していないことを確認。
- 北の阪急電車は生きていて、それを使えば、大阪の梅田までは行けることを確認。また、駅の近くは電気も通っていて、営業している店や自動販売機もあることを確認。使える街機能を把握しておいて、いざという時の買い出しリストを練っておく。
- 近所のネカフェが使えないか、と期待してみたけど、それは無理と判明。自分の生存報告はしておきたいし、書きかけの記事も完成させたい。よって、午後からは大阪に行って、ネットカフェでのんびりしようか、と建設的に考えることにする。
ともあれ、街の惨状を見ながら、怪獣映画とか災害映画の景色と比べてみる。火事はところどころあって、消防車や救急車の音は時々聞こえるけど、水の被害はほとんどない。そういうのは、ラジオでもいっぱい聞こえてくるけど、うちの近所とは無縁。センセーショナルな報道だけが、事実ではないことを改めて実感。
風の被害は大きく、崩れ落ちたベランダとか、時々ビックリする非日常な光景を目にする。
自転車で走っていて、一番大変だったのは、信号機が機能していないので、車の通る道路を渡るだけで結構、苦労すること。いかに渡れる箇所やタイミングを見いだせるかがポイントと、まあ、滅多に使わない知識・感覚技能を習得した。「信号の機能していない大通りを安全に渡るスキル」なんて、天災後というレアなタイミングでしか役に立たないよね。
まあ、ともあれここで、「緊急指令10-4- 10-10」のOP歌でも貼り付けておきますかね。
この歌では、歌詞に1番から3番まで「屋根が飛ぶ」って歌われていて*1、「そんなにしょっちゅう屋根って飛ぶものか」と長年の苦笑ネタにしておりましたが、まあ、TVのニュースでも稀に屋根が飛んだ映像を見たこともありますが、自分の人生で飛んだ屋根をこの目で見る機会はまずないだろうな、と思っておりました。
ところが、もう今回の台風で、いくつ飛んだ屋根の残骸を見たことか。もう、多分、一生分の屋根の残骸を見たなって気分です。もう、お腹いっぱいで、これからはこの歌を歌いながら、しみじみ飛んだ屋根の残骸を思い浮かべながら、決して笑えないなあ、と感じる次第。
そして、午後からネカフェを求めて、大阪に向かいましたよ。
まあ、少なくとも、梅田周辺は活気があって平和な感じでした。うちの近所の町は正に被災地って感じだったのに、大都会は台風の翌日も元気でまあ、ダンジョンから出てきて街に到着した感じ? これで梅田まで停電で機能してなかったら、どうしようかと思いましたから。
そして、適当に見つけたネカフェでリクライニング。まあ、自分は基本的に自宅でネットをするのが常態の人なので、わざわざお金を出してネカフェを活用することはほとんどない。だけど、今回は非常事態だし、取材というか社会勉強の機会と思って活用してみたわけで。
で、ネカフェで、いろいろ生存報告したり、書きかけだった創作を仕上げて、「次元嵐でピンチのまま続く」で終わらせてみたり。いや、自分的には嵐そのもので命の危険は、あまり感じなかったですが、その後の電気が使えない非日常というものにメンタルをゴリゴリ削られましたからね。
まあ、周りのインフラは生きていて、財産そのものを喪失したわけでもないので、復旧は「電気さえ通れば」というものでしたが、その電気がいつ通るのか情報がはっきりしないわけですね。
関電も規模が大きすぎて、停電家庭の状況把握がほとんどできておらず、しかも市の対策もいろいろ後手に回ったようで、とにかく情報が伝わらない。というか、役所の人が職場に待機して電話応対に掛かりっきりで、自分で街を自転車で走り回って現場を見ることもしないものだから、どうもNOVAが朝に自転車で走り回って得た程度の情報ですら、伝わっていなかったことを知人の役所勤めの方が後から申しておりました。
オフィス待機が仕事であって、現場を見て回ることは職務放棄になるという考えが蔓延していて、まあ、そこで機転の利く上司が英断して「現場の状況を調べてくるんだ」的に一部の部下を派遣するような対応を取ればいいんでしょうけど、なかなかドラマのようにはいかない。知人の話では、役所のネット回線も機能不全に陥って、さらに関電から派遣されて来た人とのオフィス内談話だけで、時間を潰していたそうですから。さらに問題が大きいのは、うちの市長も含め、役所の多くの職員が市内に在住の人間じゃないそうなので、自分たちの家族から現場の情報が入ってくることがないのと、どこか他人事のように動いていた感が強いなあ、と住人の一人として感じた次第。せめて、市長は市内の人じゃないといけないなあ、と今度の選挙時には考えてみたく。
ともあれ、自分としては可能なかぎり、現場の情報や、身内で手に入る対策側の情報を集め、足りないのはネットやTVといった外からの情報だったわけですが、これもネカフェで補完できて、いろいろ満足した次第。
まあ、電気以外の生活必需品は確保できていたので、足りないものは本当に情報と日常生活だけだったわけですね。
で、このまま一晩、ネカフェで泊まろうか、という誘惑にも駆られましたが、そうすると自宅の電気が復旧しても分からないので、一度、家に帰ることに。
実は、うっかりしていて、バッテリー切れの携帯電話を持って行かなかったんですね。せっかくのネカフェだったんだから、そこで充電すれば良かったのに、と後から気づいて、何やってんだ、自分と感じたりも。
で、夕食だけ梅田で済ませて、電気が復旧していることを期待して、帰宅したわけですが、まだ復旧しておらず。
ふう、とため息ついて、その日の夜も早めの睡眠をば。
あ、最近プレイしなかった携帯ゲーム機のバッテリーも、ネカフェで充電していれば、ここまで夜が何もできないことはなかったのに、と思ったりもしたわけですが。
電気のない生活では、夜が随分と長いものだなあ、と感じながら、翌朝、日の明けるのを待っていた次第。(次の日につづく)
*1:そう思って聞いてみると、3番は「屋根が飛ぶ」じゃなくて「目がくらむ」でした。記憶違いということで。ちなみに1番は嵐、2番は吹雪、3番は瓦礫の中で一人死にかけています。まあ、停電状況だと通信もままならないので、電波特捜隊を呼ぶにも困難なんですけどね。